新条アカネは見ている 『グリッドマンユニバース』

新条アカネ(ニューオーダー) アニメ

Blu-rayが無事発売を迎えたりアマプラ配信開始したりと再びグリユニ熱が高まってきたので今回は感想記事ではあえてそんな多くは触れなかった新条アカネ(ニューオーダー)についてちょっと触れていこうと思う。

復活の新条アカネ

まさかの実写パートからのインスタンスドミネーション、まさかの変身シーン、まさかの怪獣優性思想と魔法少女を混ぜたようなコスチューム、ダメ押しについでのように味方面で楽しそうに変身するアレクシスと観客を圧し潰すような情報量で映画館を満たしてくれた新条アカネのサプライズ登場。

自分が作った世界だから、というだけでなく自分を助けてくれた人たちを今度は自分が助けたいとアカネ自身が願い行動した姿にかつて流されるまま神の力を行使し命を弄んでいた頃からの成長を大きく感じる。

グリッドマンユニバースという作品がちゃんとあの最終回の先にある物語であるということを強く感じることが出来る要素の一つがこのアカネの変化だと思う。

新条アカネの存在はマーケティング的な側面も強かったのだろうが、ファンの需要に応えつつ、SSSS.GRIDMANという物語を台無しにせずと上手い具合に物語の構造にカッチリとハマるような素晴らしい采配をしてくれたと思う。

神様は見た

個人的見解ではあるが、今作のアカネはSSSSの時以上に観測者としての属性が強調されていると思う。
観客、あるいは視聴者と言い換えてもいい。

まず映画冒頭TRIGGERロゴに映し出されるアカネの眼や捨てられたPCの画面越しに裕太たちの動向を見守る現実世界のアカネの姿などの描写から、我々がスクリーン越しに見ている映像とアカネが見ている映像が“概ね”同一であり、我々観客とアカネが視界を共有していたと考察できる。
(我々観客はアカネ登場以降アカネの姿も視界の中に収めているのでアカネよりももう少し外側からグリッドマンユニバースを観測、視聴している存在と言えるので”概ね”と付け足しておく)

つまりアカネが極めて観客に近い立ち位置から世界(今作のツツジ台)を俯瞰していたということである。
いわゆる神の視点というやつだ。

また、今作のアカネは他のキャラに比べると常にどこか余裕を持ちそれこそ本当に神様のような格の高さすら感じさせる。
(実際ツツジ台の住人達からすれば神様なわけだが)
どんなにピンチでもどんなに他のキャラが状況に不安を抱いたとしても
アカネだけはまるで焦りも不安も感じていないのだ。

二代目やアンチですら裕太がグリッドマンとアクセスフラッシュすれば無事では済まないと断言し他のキャラも絶望している中ただ一人「君の強い意志があれば(できると思う)」と裕太の意志の力を信じ、アクセスフラッシュを成功させたグリッドマンと裕太にマッドオリジンが驚愕する傍らで「そういうことができちゃうんだよ、ちょっと変な人たちだから」とさも目の前で起きていることが当然のようにドヤ顔し、グリッドマンがマッドオリジンを倒した時(勘違いだったけど)には「流石、グリッドマンだね」と零し、フィクサービームを使う際には蓬を含む面々が困惑する中特に疑う様子も無く静かに見守り続けた。

どんな状況でもただ一人アカネだけが、響裕太とグリッドマンならどうにかできると信頼していた。

この盲信的ともとれる信頼は画面の前という環境でグリッドマンの闘いを見守る構図も相まってまさに特撮ヒーロー番組(虚構)を見ている視聴者われわれと同じだ

怪人・怪獣がどれほど暴れても最終的にはなんだかんだでヒーローが解決する、その前提ありきでヒーローたちの織りなす物語を我々は見ている。

アカネもそうだったんじゃないだろうか。

自分を救ってくれたグリッドマンという虚構を信じたのだ。

どんな絶望的な状況だったとしても自分の作った世界の法則をその意思の力で打ち破った裕太なら走り抜くし、どんな世界の危機も自分の心を救ってくれたグリッドマンならなんとかしてくれる、そんな視聴者然とした虚構が持つ力への絶対的な信頼をアカネだけは持っていたのだ。

グリッドマンと裕太が別れる場面でアカネが見ていた画面の電源が落ちるのも象徴的だ。
そこでアカネから見たグリッドマンユニバースという物語が幕を閉じたということなのだろう。

グリッドマンの雄姿を見届けた観客アカネは自分の現実へと戻っていく。
かつてヒーローが救ってくれたおかげで向き合えるようになった現実へと。
虚構が持つ力を信頼し、現実を生きるための勇気を貰い日常へと帰っていく、それは我々と同じ…いやかくあるべき姿であると言える。

この映画に限らず人はあらゆる虚構から多くのものを受け取り現実を生きるための糧にすることができる。
それだけの力を虚構=創作物は持ち得る。
我々はそれを知っているし、アカネもきっと同じなのだ。

かつてグリッドマンという虚構にその心を救われ現実へと一歩踏み出す勇気を持つことが出来たアカネが虚構を肯定し見守る役割にいることは、虚構の力や救済を肯定した今作のテーマを考えれば自然なことだったのかもしれない。

以上
公開前は「アカネの物語は綺麗に閉じたんだから出さないでくれ!!」と言っていたくせにいざグリユニ観たら手のひらクルクルした悲しきオタクの怪文でした

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