もしもかホントか シビル・ウォー アメリカ最後の日 感想

シビル・ウォー アメリカ最後の日 映画

シビル・ウォーがアマプラにきていたのでそう言えば観てなかったなと思い今更のように鑑賞。

世間では結構賛否が割れているなと言うところだけど個人的にはかなり面白かった

「もしもアメリカで内戦が起きたら?」という想像もしたくないシチュエーションをジャーナリスト視点で捉えたロードムービーなわけだがよくこれ公開できたなというくらいに刺激が強かった

というか生々しさがあった

アメリカで内乱が起こる可能性については数年前からちらほら囁かれておりあながち冗談とも言い難い不穏な気配が常にある情勢下によくこの映画を公開できたなと思うほどのそれ。

SNSなりなんなりで戦場のリアルタイムに近い凄惨な映像を見れてしまう現代だからこそ感じられる重さのある演出の数々。

戦場で戦う兵士視点のドンパチ映画ではないからこそロードムービー形式で断片的に残酷な状況が見せられていく作りはまるで本当にアメリカ内戦の様子を覗き見せられている気分になってしまう。
特に序盤にその色が濃く出ていて人によっては観ていて気分が悪くなるんじゃないかなと思うほど。

何故内戦が起こったのか、誰をどうすれば解決するのか、明確な答えは示されないまま観客は戦火の中でただ事実を目撃させられる。

転がる死体にはなんのドラマも無いし映画の中によくいる正義の兵士も悪の親玉も別に出てこない。
ただ「(戦争が起きたら)実際にこうなっちゃうのかもな…」と思わせるような映像を淡々と100分近く流され続けるわけだが、フィクションと切り捨てるには重すぎる残酷な映像の数々はこの映画の内容を荒唐無稽と笑うことを許さない凄みを湛えていた。

赤サングラスの男
やけに話題になったが実際見ると緊張感すごくて全く笑えない圧を放つ赤サングラス。怖いのはこいつが何者なのか作中明示されていないところ。手の動きが怖いよアンタ。

武器を持つものだけでなく、戦地の事実を伝えるはずのジャーナリスト達までまとめてカメラの中にフレームインすることでジャーナリストを含めた全てが戦場の一部であるかのように見せた本作。

戦場に鳴り響く銃声の一部かのように鮮明に耳に残るシャッター音、戦地で起こるイベントの一個一個を求めるジャーナリスト達の行動、その成果を求め他人事のように画面越しに眺める我々、戦争が一種のコンテンツとして娯楽消費されている可能性を提示されているようで妙に後ろめたささえ覚えてしまう。

何のために銃声が、そしてシャッター音が鳴り響いているのか。

下手なホラー映画よりも心の底に残ってしまう恐怖があったと思う

そして見事だなと思ったのは人物描写。
ギリギリのところで人間なんだけどどこかやっぱりネジが外れて狂っているカメラマン達の描写がとても面白かった。

特に主人公である熟練カメラマンのリーと新米カメラマンジェシーの対比

日常のように惨劇をカメラの中に収めていくリーと惨劇を前に震えてカメラを持っていることも忘れてしまうジェシーという戦場で壊れてしまった人間とまともな人間の対比が序盤に行われるのだがその互いの精神性が物語が終盤に向かうにつれじわじわと変化し最終的には逆転してしまいそれを具現化したような結末を迎えるという美しい流れと対比が素晴らしく決まっていた

終盤銃声や爆音の中泣き叫ぶリーの声はまるで聞こえないのにそれ以外の戦場に馴染んでいる面々の声がよく通って聞こえるなど、まともな感性で戦場に立ってしまったリーが戦場で誰よりも浮いた存在に映ってしまう狂気的な迫力が終盤にはあったと思う

戦場に適応し狂気に身を委ねジェシーが身につけていったそれを強さと認め肯定していいのか、そしてリーの変化やとった行動は弱さなのか、一枚の写真とともに観ているものにその是非を問いかけてくる結末。

これまで他人事のようにニュースやネットの映像で観てきた「戦争」「悲劇」、それらが全てアメリカ国内に返ってくるという皮肉まじりな一本だが、決してアメリカだけに限った話ではなく全ての他人事を決め込む人にいつか返って来る可能性をフィクションという形でその現実を見せ警告してくる傑作だったと思う。

ガソリンスタンドの兄ちゃん
赤グラサンばかり話題になったけどガソスタでヘラヘラしてたこの兄ちゃんもかなり怖い。というか戦場にいない時の方がこの映画怖い。

道中登場する無関心を決め込むブティック店員が象徴的で、まさにあれは我々のような他人事の出来事を眺めている感覚の人間そのもの。
他人事を決めこみ内戦を見て見ぬフリをしてもブティックのすぐ側に武器を構えた兵士がいたように常にすぐそばに残酷さを届けてくる「現実」はある。

これはいつかの「将来」の話ではなくこの地球上今もどこかで行われている「現実」の話だ

カメラマンとしてアメリカ国内に警告を続けてきたリーの行動が何の意味もなさないまま内戦が勃発したように、この映画がどれほど警告をしてもいつかはこれを見た誰かの元に「現実」は降りかかってしまうのだろう。

その時、ジェシーのように適応できるのか、それともリーのよう崩れてしまうのか。
そしてどちらのように在るべきなのか。

狂った現実というフィクションはすぐそこにある
そんな当たり前を突きつけてくる素晴らしい作品でした『シビル・ウォー』

タイトルとURLをコピーしました