「えんができたな」ドンブラザーズ最終回感想

ドンモモタロウ 特撮

どこへ向かうんだこの番組…と困惑した1話から早一年
遂に迎えた最終回…

泣いた…!!
なんという屈辱!!
泣かされた!!ドンブラザーズに!!

「役割を終えた桃井タロウは記憶をリセットされ闘いとは無縁の人生を生きる」

なんそれ!!知らん知らん!!
と突然開示された情報に叫びそうになるも一瞬で冷静に受け入れてしまう自分に驚く
「まあドンブラザーズならそういうこともあるか」

どうやらこの一年50話カオスを浴びせられ続けたせいで大抵のことは受け入れられるようになってしまっていた。
慣れとは恐ろしい。
果たしてキングオージャーに僕は満足できるのか?一抹の不安がよぎる。

とにかく新番組の受け入れ体制を破壊するほどに刺さる美しい最終回だった…

ドンブラザーズに入ったことを後悔していないか?

タロウが投げかけた問いにして、タロウが仲間をちゃんと仲間であると認識しての最後の一対一のやりとりがこれ。
(正式な別れのおでん屋の時はもうソノイとジロウ以外誰かもわからなくなっていたため)
はるかに向けた「じゃあな」がとても切なくて見返したときここでもう僕は泣いてた。

「前より人間が好きになった気がする」
「感謝してるよ」

「俺はドンブラザーズでいたい」
「僕の…誇りです」


ヒーローとして闘いそこに幸福はあったのか?この先に幸福はあるのか?
そんな問いへの答えでもあったと思う。

物語当初では言いそうにもない答えだ。
全員がそれぞれ一年前よりも少しだけ前に進み始めていることを実感する。

桃井タロウ
穏やかな笑顔を見せるだけで視聴者を泣かせる特殊能力を持つ男

そもそもその質問は何だ。

唯我独尊な生き方を見せてきたタロウらしくない質問だよ。

怖かったのか?自分だけがドンブラザーズという居場所に幸福を感じていたんじゃないかと、独りよがりでみんなは嫌がっているんじゃないかと…怖かったんか?タロウ…

誕生日ケーキをみんなで囲めて楽しかったんだよな、嬉しかったんだよな。

そんなみんなに嫌われてやいないかと人並の感情をもっていたのかもしれないと思うと本当に愛おしい。
(演じる樋口さんの「桃井タロウとしてお供達の前で泣くわけにはいかない」とでもいわんばかりに涙を堪えた演技が「桃井タロウは嘘をつけない」という設定と悪魔合体して恐るべき決戦兵器になっていた。おかげで桃井タロウの一年を総括したような表情が何度も見られて眼福眼福)

個人的には犬塚に「何も良いことが無いぜ。俺の人生。これもドンブラザーズのせいか…」と言われた時の少し悲しそうな表情や雉野との会話で涙をこらえ上ずった声で「ああ。全然良い」と答えるシーンが印象に残っている。

お前そんな顔…

地面に寝そべり「これまで」と「これから」に想いを馳せる猿原と犬塚の場面は同じく井上敏樹先生脚本の仮面ライダー555最終回を思い出すけど意図的なものだったのかな…
空に手をかざす猿原に「ああ最終回だ…」って寂しくなっちゃったよ…

なつみほ問題

まあこうなるかもな、と思ったことが現実になったような結末ではあった。

でも思っていたより爽やかに、痛みを残しつつも未来を感じさせる結末は鮮やか。

もっとドロッドロになってVシネ「イヌブラザーVSキジブラザー」が作られて最終的に犬塚が暴漢に刺されるんじゃないかとか安直すぎる杞憂をしていた。
井上先生ごめんなさい。

「みほは夏美の夢」
劇団員として夢を追いかけつつ、イケメンの彼氏を持ちながらもその一方でパトロンの男たちに貢がせる裏の顔も見せていた夏美が実は雉野とみほのような穏やかでありふれた生活に憧れていたのかもしれないというのはなんか…
人間だったなあ(語彙力)

人の欲望と向き合い続けたドンブラザーズに相応しく、人間という生き物の怖さと弱さの両面をきっちり描き切った見事なキャラクターだった。

「二人で夢の続きを見ませんか」
プロポーズとしか思えないセリフを雉野に投げかける夏美。

約一年みほちゃんみほちゃん大騒ぎし続けた雉野がいくら同じ容姿とはいえ個体としては別人の夏美を好きになるとは思えないから大変そうだよな~
…と思ったら授賞式で指輪してるーーーー!?さっきまで指輪外して…あ…あれ!?
そういうこと…!?そういうことなの?いやまだわからんやろがい!!

Vシネーーー!!来てくれーーー!!

犬塚も雉野も前に進み色んな事を受け入れながら変化していく。
夏美(みほ)だけに固執し続けるが人生じゃない。

あくまで視聴者である我々は彼らの人生のほんの一部分だけを切り取って見せてもらってるにすぎないんだよなということを改めて感じましたよ。

びっくりはしたけど納得はできる。

雉野が「これからも人々を守る」と決意しカーテンを開けた時の、暗く空っぽな部屋に光が射しこむ演出が雉野の心の表現でありこれからの彼の明るい未来を示唆するものだったと信じたい。

陣とタロウ

親子が47話以来の再会。

阿吽の呼吸でプーアル茶に砂糖をいくつも入れて差し出した時のように、互いのためにおにぎりを握り食べ合う光景が描かれた。

ああ、こうやってこの親子は過ごしてきたんだろうな…としんみりする。

47話の時と大きく違うことがある。
陣とタロウが目を合わせ会話をしている

これはタロウの中から陣の記憶がもう消え去っていること、それにより関係性が変化したことを
タロウにとってこれまで当然だった行動(記憶があるときは陣と視線も言葉も交わさない)がとれなくなっている姿で表現しているのだと思う。

誰だか思い出せなくても大切な人だった気がする、大切な時間だった気がする。
「うまい」と声を震わせるタロウにそんな心を感じて僕が泣く。
アンタたち親子が泣かないから僕が泣くのよ…

消えるタロウが残したおにぎりのひとかけらを頬張る陣に子供の食べ残しを食べてあげる父親を見て更に泣く。
親子の描写が少なかったくせにとにかくわからされたよ

間違いなく親子だったんだなこの二人は…


「御苦労だったな…タロウ…」
親子の記憶を失ったタロウを心の底からねぎらいAパート終了…
からのCMでも念入りにとどめを刺すように…

タロウ「泣くなよ、笑え」

いや泣くが!!?

脳人

どう考えても一番変わった連中。
きっと悲しい死に方するんだろうなあとか思っていた序盤を見ている頃の僕へ、君の目は節穴です。

人の形をした世界のシステムの一部のような無機質な冷たさと切なさを内包したキャラという印象は吹き飛びシリアスもギャグもこなし遂にはドンブラザーズ入りまで果たすマルチタスクの鬼と化すなんて…
「脳人も変わったということか…」

タロウと仲間たちの最期の時間を守るために闘うソノイ達三人の姿はヒーローのそれだった。
最終的にソノイらがこの形に収まることへの違和感を感じさせなかったのは一年をかけたエピソードの累積の賜物。

「いいものですねおでんというのは」
記憶が失われ知らない人たちと肩を並べおでんを食べている状況に放り込まれたタロウにソノイが優しく語り掛ける。
タロウと出会ったころのように敬語で、タロウに教えてもらったおでんを食べながら。
また新たに縁を紡ぐように…

う、美しい…
なんだこれは…絶対こんなに大事なファクターにするつもりなかったでしょ。
おでんで遊び始めた時は。なのになんだこの収まりの良さは…
神が降りてきたとしか思えない。
おでんの神が…

その一方でソノシゴロの三人はあっさり無残に処刑
前話共闘したキャラとは思えない容赦の無さに割と絶句

とはいえ変わることのできたソノイ達と違いこいつらは変わらず迷惑行為を山積していたっぽいので当然の結末だったのかもしれない。
無情…

レギュラーメンバーの多くが1話と比べ変わったが、脳人たちはその中でも特に「変化」を象徴したような存在だった。

話数がもっとあればソノシゴロどころかソノナソノヤも仲間になっていた気がする。

おもしれーやつら…

はるかの漫画

椎名ナオキの描いた新・初恋ヒーローとは違う、はるか自身の真実の物語を描いた暴太郎戦隊ドンブラザーズという漫画で賞を受賞。

はるかの成長の証明になっているだけでなく、桃井タロウの物語が多くの人に受け入れられるほど価値のあるものなのだという証明にもなっているのが粋だ。

「暴太郎戦隊ドンブラザーズ=はるかの人生」が誰かの盗作や真似事ではなく紛れもなくはるか自身のオリジナルという意味であると捉えると、「椎名ナオキ(未来はるか)の新・初恋ヒーロー」もまた椎名ナオキ自身の人生だったのかもしれない。
(最終ページを描き上げることができずはるかに託したのは時間が足りなかったということ以外にかつて未来はるかが自分の望む未来に辿り着けなかったことの暗喩にもなっている。)

この漫画のおかげでタロウが一時的に復活しソノナソノヤを瞬殺したわけで

やっぱりエンタメって偉大です。

タロウの記憶リセット考察

「脳人がドンブラザーズに加入し後継者であるジロウが育ったことで役割を終えた桃井タロウの記憶はリセットされ闘いとは無縁の人生を送る」

縁を紡ぐことを描いてきたドンブラザーズという物語的にも、孤独な幼少期を送りここにきてやっと幸福を感じられる仲間を得たタロウにとっても残酷すぎる結末だ。

マスターによる記憶リセットの解説のイメージ映像でドンモモタロウのスーツが色味を失い白黒ベースのものへと変化している。
これは…マスターが変身するゼンカイザーブラックと余りにも似すぎている。

メタ寄りな考察をしてみよう。

記憶をリセットされ新しい人生を送る=一年間戦隊を演じた俳優がその後ドラマや映画で全く違う人物を演じることを意味しているのではないだろうか。

つまり後継者であるジロウ=翌年の戦隊主人公だ。

ここから更に眉唾な考察。
マスターの正体は最後まで明かされることはなかったが、やはり「ヒーローの前任者」の比喩なのではないか。

ゼンカイジャーの五色田介人の姿をしているのは視聴者がマスターを「かつてヒーローだった存在」であるとより認識しやすくするための視覚的補助であり、彼の現状こそがヒーローの役割を終え人生を一新することの答えそのものなのだ。

彼が我々の知る五色田介人がリセットされた姿なのかまるで別人なのかは些末な問題でしかない。
(Vシネで全否定されたら恥ずかしすぎるな…)

そしてはるかの漫画を読んだ時のようにふとしたきっかけで思い出したかのように帰ってくる。
我々がよく知るヒーローたちもよく冬とか春に帰ってくるだろう。
アレだ。

記憶を一新し新しい人生を歩むように特撮俳優たちもヒーロー番組から巣立っていく。
寂しいけど永遠の別れというわけでもなく我々は新しい彼らをテレビやネットを通して見守ることができる。

そして時が経ち縁が紡がれることでまた変身してくれる。

毎年恒例の「慣れ親しんだヒーローとの別れ」に纏わりつく寂しさと期待を記憶喪失という形で巧みに表現しているのだと僕は受け取った。

今年も最終回は寂しい、というお話

今後出てくることが無いであろう唯一無二の戦隊だった。

ぶんなげられた伏線がいくつあってもそれをいちいち気にするのが野暮にも思えるパワーの塊のような作品、そしてキャラクター達。
またどこかで会うこともあるだろうけどタロウたちに毎週日曜日に笑わされたり驚かされたりしなくなるのかと思うとやはり寂しい。

毎年乗り越えては毎年迎える不思議な感情よ…

「前より人間が好きになった気がする」
はるかが言ったその言葉が全てだと思う。

…すまん大分引きずりそうですドンブラロス…
(キラメイジャーロスを一年ほどひきずった哀しい生き物の残響)

いい最終回だった

「私たちの物語を描き続ける…か…良い最終回だった」

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