初めまして新世紀。ここは世紀末。マッドマックス 怒りのデス・ロード (2015)

マックスの後ろ姿 映画

今回はコイツ
新世紀に蘇った世紀末のバケモン

マッドマックス 怒りのデス・ロード…!!

待たせやがって…

この映画、公開にいたるまでに色々ありすぎたせいかその苦難を体現したかのような爆走マッドムービーとして仕上がっている。

ザ・世紀末!

暴力!!暴力!!

そして暴力!!!

マッドマックス待望の4作目にしてリブート三部作の一発目。

主演をメル・ギブソンからトム・ハーディに変更し「メル・ギブソン以外のマックスとか…」なんて不安を覚えたものだがとんだ杞憂

完璧にマックスじゃん!いや…というか…

面白ッ!!

マッドマックス2以降の世紀末的世界観を継承し一度見たら忘れられないくらい濃いキャラ達が派手に暴れまくる。
バカすぎるくらいの作りこみで目の前を疾走する嵐のような映像は過去作を愛した人はもちろん、シリーズを見たことがない人にも間違いなく刻み込まれるであろう大傑作。

荒涼とした大地、くたびれた人間、走り回るヒャッハー…
大事なものを何一つ捨てずにすべてを現代技術でマッドマックスをアップデートしてきたジョージ・ミラー監督のヤバさよ…

構想開始の95年から20年…NY同時多発テロ、イラク戦争、メル・ギブソンの降板、撮影地オーストラリアの記録的大雨…色々起き過ぎた影響で中止したり延期したり…
オーストラリアの大雨で砂漠に花が咲き乱れ映画コンセプトからかけ離れたロケーションになってしまったのは映画面白エピソードとして語り継がれてほしいと思ってる。

もうぶっちゃけ「公開しないんだろうな…」くらいのテンションだった

よくぞ…

よくぞ公開してくれた…!!マジで

マックスという男

Q.マッドマックスとは?

A.マックスの物語である。

しかしこのマックスという男、心が壊れている。
まるで人の形をした抜け殻なのだ。

言葉をほとんど発しないし挙動は荒々しく時折トラウマがフラッシュバックする。
きっかけとなった過去については元警官であるということ以外劇中で語られることはほとんどなく我々はただ彼の狂気を見守ることしかできない。
(一応過去については前日譚コミックで語られてはいるがマックスくんは観客にも登場人物たちにもまるで教えてくれない。)

狂気の道中、マックスはフュリオサを含む数人の女性たちと出会う。
武闘派のフュリオサを除く他のメンバーはどう見ても足手まとい。
そんな彼女たちと行動を共にするうちにマックスに変化が現れ始める。
女性陣を守ろうと足掻くフュリオサの姿にかつて正義感溢れる警官だった頃の自分を見たのか、それとも追われる女性たちに守れなかった誰かの姿をみたのか。

逃避の果てにマックスはひとつの決断をする。
そこには抜け殻のような男はもういない。

「希望は持たぬことだ。心が壊れたら残るのはー…狂気MADだけだ」

フュリオサ達が置かれた状況の絶望感、閉塞感を表現するかのような暗闇から一転、夜明けと共にマックスが決断をする場面はあまりにも美しく眩しい。


このマックスというキャラの内面の揺れ動き、変化こそがマッドマックスシリーズの肝であり、マックスというキャラクターの魅力だ。

マッドマックスはマックスという元ヒーローの物語である。

心が壊れた元ヒーローのマックスが旅の中で出会いと闘いを重ねることで人間性を取り戻していく。
いわば再生の物語だ。
(1だけがその前日譚的位置付けでありヒーローの心が狂気に満たされる破壊の物語)

今作にもそのプロットは変わることなく受け継がれている。

見知らぬ他人を救うことでマックス自身の心が救われる。
そして救われた他人はマックスを無慈悲な終末世界に現れた英雄と認識し神話のように語り継いでいく。

今作もまたいくつもあるマックスの神話の一つなのだ                 

フュリオサという女

今作はマックスだけじゃない。
語り継がれるべき存在がもう一人いる。
それがフュリオサだ。

口数が少なく様子もおかしい男マックスに代わり物語を大きく牽引してくれる重要なキャラなのだ。
(フュリオサ目線から見る序盤のマックス、見た目も挙動もあまりにもおかしなやつすぎる…)

フュリオサとマックス
フュリオサじゃなくても警戒されて当然の主人公マックス。最高である。

シャーリーズ・セロンがその美しい髪を「そんなに切る!?」ってくらい切り落とし気合十分に世界観にハマる名演を披露してくれた。

間違いなくもう一人の主人公だ。

サイボーグ感あふれるデザインの義手を使いライフルやウォータンクを操るパワフルな描写をムキムキの男性ではなく女性に担当させたのは現代的でありそれでいてこの圧倒的存在感はリブートしたマッドマックスに相応しい迫力。

何より立ち回りがあまりにもヒーロー。
マックス!ギコギコマスクを外してる場合か!

フュリオサはイモータン・ジョーの子供を生むための子産み女達との出会いをきっかけに彼の独裁的なやり方への疑念を深め、その結果子産み女達を連れた決死の逃避行に身を投じ始める。
ただ消費されるだけの女達の為に立ち上がり、抗い、導こうとしたフュリオサもまたマックスに並ぶ神話の女神ともいえるだろう。

フュリオサを主人公とした前日譚映画も2024年に公開が予定されており彼女がシリーズにおいて大きな存在であることは疑う余地もない

延期しないんだよな?信じていいんだよな!?待ってるよミラー監督!!

フューリーロード

この世界に住む人々は敵味方問わず何かに縛られ息苦しそうだ。
広大な世界が描かれているのに何故か凄まじい閉塞感を覚える。
まるで目前に行き止まりの壁が立ちはだかり続けているようだ。

子産み女はジョーの子供を産むため、ウォーボーイズをはじめとしたジョーの配下たちはジョーに植え付けられた価値観のために戦いの中で死ぬことを誉れとし、大本のイモータン・ジョーさえも自らの力を示すこと、子孫を残すことことに囚われ続けている。

社会のシステムや価値観に従いなんとなく役割を演じ生き続けているという意味では現実の我々と何ら変わらない。

イカれたビジュアルに意識をもってかれそうになるがその本質はそこまで突飛なものではなく、むしろキャラクターたちの思想や境遇は現実世界と照らし合わせて考えられるように配置されているのではないだろうか。

つまるところマックスとフュリオサが怒りを覚え抗おうとしたのはこれだ。


自分たちを押さえつける現実、押し付けられた価値観、彼らは全力でこれに抗おうとする。

彼らを襲う自然環境の過酷さは社会そのものであり、襲い来るジョー達は押し付けられる価値観そのものなのだと思う。
だからこそこれに抗う闘争はひとつひとつが激しく、それでいてどこか胸をスッとさせる。

嵐のように厳しい現実から背を向けて逃げ続けるのではなく、その嵐の中に飛び込み勝ち取ることの美しさがこの映画の全編を通して表現されている。(と思っている。)

原題『フューリーロード』(直訳 : 怒りの道)とはよくいったものだ

今から一緒にこれから一緒に殴りにいきたくなる日もあるもんな!

人生息苦しい、そんなアナタにマッドマックス

とにかく今作は何も考えず頭空っぽにして楽しむ高品質アトラクション映画の側面を持ちながら
観客に対し問いを投げかけつつ現実を生きる活力を与えてくれる力を持った素晴らしい映画、ということ

旧作好きだけど「メルがマックスじゃないから見てない」という人は騙されたと思って観て欲しい。
そいつ割とマックスだ。

そして少しでも今人生に息苦しさを感じる人はこの映画を試しに見てほしい。
大丈夫、最悪狂気だけは残るから。

4DX見損ねたこと、人生の中でも結構上位に残る未練。

余談

一応新三部作なので残り二作あるわけで
続編の『Mad Max : The Wasteland』(仮)が準備中と数年前に言われていたんですが現在の進捗はどうなっているのか結構ドキドキしてたり。
監督も結構なご高齢ですし

まあなんだかんだやらないと思ってたスピンオフの『フュリオサ』も撮影終わったもんな…

『祈って』おこうかな…

トム・ハーディ版完走の無事を…

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