-君は生き延びることができるか?-
そう、ガンダム。
「知らない人いるのか?この世に生まれ落ちたからにはどこかで絶対名前を聞いたことがあるんじゃないか?」そんなまさか見たいな思い込みを抱きたくなるほどまでに存在感のあるシリーズだ。
宇宙世紀やアナザー(オルタナティブ)などのアニメシリーズはもちろん、それ以外にも騎士ガンダムや武者頑駄無なども含めるとそのルートは広く細かく分岐し全てをフォローしきれないほどにまで作品はその数を増やし多くの人間を虜にし続け約半世紀。
とんでもビッグコンテンツである。
そのあらゆるガンダムの原点。
それが機動戦士ガンダム
通称1st。
ロボットアニメにとどまらず後世の多くのフィクション作品に多大な影響を与えた伝説的作品と言っていいだろう。
今回はそんな機動戦士ガンダムのテレビ版について触れていこうと思う。
近年1stを勧めるにあたって大抵の場合劇場版三部作を勧める声の方が大きかったし自分もそうしてきた。
新規ファンにこの原点たる機動戦士ガンダムを勧めるには控えめに言ってもかなり古めの作品でありその「古さ」への抵抗感などがある人は多いんじゃないかなという危惧が念頭にあったためである。
また、ガンダム履修において必要な情報をコンパクトな尺で大量摂取できること、1stが素晴らしい名作であることを最短で知ってもらえる可能性が高いのが劇場三部作だろうと考えていたからである。
(もちろんこの三作品が映画として素晴らしく必見のものだからというのもあるが。)
https://toiuohanashi.com/syoshinsha-gundam/
上記の記事でも1stについて勧めたがここでもあくまでも劇場版三部作を強調して紹介した。
要するにびびっていたのだ、新規ファンに逃げられまいかと。
しかし1st、それもテレビ版の存在を強調したジークアクスの登場により情勢は大きく激変。
世はまさに濃厚な大テレビ版時代。
「傑作なので絶対見てほしいけど無理強いし辛い」というところにあったTV版機動戦士ガンダムの存在価値がここ20年あったかわからんレベルで高まったのである。
なので今だ!という気持ちでテレビ版について書こうというわけである。
ちなみにジークアクスを観て1stに興味が向いたけど観るなら劇場版でいい?と思っている人にいやテレビ版もいいよ、どう?と投げかけるのが目的である。

ストーリー
宇宙世紀0079年、開戦からたった1ヶ月で双方の人口の半数が死滅する規模の独立戦争をジオン公国が地球連邦に独立戦争を挑み膠着状態になって約8ヶ月が経とうとしていた。
そんな折ジオンの赤い彗星、シャア・アズナブルが連邦の新造戦艦ホワイトベースを追尾しサイド7に到着。
しかし偵察のはずが連邦のモビルスーツを発見し手柄を焦った新兵の暴走によりサイド7内は戦闘状態に陥ってしまう。
戦場と化したサイド7の中で生き延びるために民間人の少年アムロ・レイは偶然の重なりもあってガンダムに乗り込み戦いこれを撃破。
この戦いをきっかけにアムロ、そして少年少女達は連邦軍の一員としてなし崩し的にジオンとの戦争に巻き込まれてしまうのだった。
…というのがざっくりとした本作の導入。
(ガンダムを見たことがなかったとしてもアムロがガンダムに乗り込むこの一連は結構有名なのでアニメファンならどこかで耳にしたことがあるか、それか全く関係ない作品でネタにされたりパロディだったりオマージュされたりしていて無意識下に摂取している可能性は高いだろう。)
ガンダム代表と言ってもいい存在、アムロとシャアの始まりの物語でもあり以降も続く宇宙世紀シリーズの原点でもある偉大すぎる一歩目だ。
1stを未見の人は多くいるだろう。
それこそ年月の差から生じる古さにどうしようもなく距離感を覚えている人もいればもしかしたら堅苦しく難しい戦争モノだと身構えてしまっている人がいるかもしれないがそこは安心して欲しいと言いたい。
頼れる大人達が少なく、そして戦った経験なんてほとんどない不慣れなクルー達で構成されている戦艦で執拗なジオンの追跡を次から次へと相手にしなくてはならないという極限の緊張状態。
そんな中でアムロをはじめとした少年少女たちが出会いや別れというそれぞれのドラマを重ね成長していくストレートな物語である。
難しい戦争モノとして捉える必要はなくちゃんと人間同士の成長ドラマ、モビルスーツのかっこよさ面白さに目がいくような設計になっておりハイクオリティなアニメに目が肥えている今のアニメファンにも自信を持ってオススメできるストーリーとなっている。
そもそも多くの作品に影響を与えた伝説の作品なのでどこか自分が見たことのある作品に通じる遺伝子を感じ取って意外と馴染める可能性すらある。
個人的には機動戦士ガンダムは宇宙規模の戦争というスケールの大きな舞台の上を往くロードムービーであり、旅の果てにアムロが「家」を見つけ帰る物語であると捉えている。
ロボット、政治などちょっと難しめなところもあるしそこも自信を持ってオススメできるフックではあるがそれ以上に人間の生き様に惹かれる作品であり本作のそれは時代を超えて人の心に残るモノだと思う。
確かに表面上の古さは否めないところではあるがとにかく見やすいジュブナイルストーリーなのであまり怖がらずに見て欲しいなという思いである。
(だからこそ注目度を高めたジークアクスくんには大感謝である)
異色作?
誰しもにおすすめできるストーリーを持った作品である一方で個人的に本作のガンダムは間違いなくガンダムの原点であるものの以降のシリーズと比較すると何気に異色な存在だと思っている。
(Gガンダムのような特異中の特異はまあ例外として…)
「ガンダムといえば?」と聞けば多くの人が思い浮かべるのはまず間違いなくこの作品であろうにだ。
それは本作がSF、ロボットアニメの一つの転換点になっていることに起因する。
まず機動戦士ガンダムという作品はマジンガーZをはじめとしてそれまでの多くのロボットアニメが持っていた勧善懲悪的な部分を抑えながら連邦とジオンという組織同士人間同士の戦争を取り扱うことでより濃密な人間ドラマと熱いロボットバトルを同時に高水準で成立させることに成功した。
ザビ家という物語的に倒した方がいい敵がちゃんと存在していたり作中で言及されてはいないもののジオンがコロニー落としというとんでもない暴虐を働いている描写があったり悪の親玉が棲む城にしか見えないズムシティがデーンと存在していたりと何となく「打ち倒すべき敵としてのジオン」は確かにあの世界観に存在しているもののそれでもなお本作は「悪を倒すための物語」というよりもそこに生きる人間達の生き方により強く目を向けさせているように感じられるのである。
そして更に言えば人間同士の戦争を題材にしたことでそれまでヒーローのような存在だったロボットはより兵器としての面が強調されることとなったとも言える。
それでも本作のガンダムはかなりスーパーロボット、ヒーローとしてのロボットという色はかなり残っているし前述したように勧善懲悪的ストーリーを完璧に消しているわけではなく少し気配を消したり視線をずらしているくらいに止めていると個人的には感じている。
この辺のスーパーロボットとリアルロボットの狭間というか時代の転換点というか、そういうのが表面に滲んでいるところが以降のガンダム作品と比べると少し異色かもしれないということである。
(多くの人が想像するガンダムらしい雰囲気ってZガンダムが作ったんじゃないかなーなんて思ったりも。)
特にこのテレビ版は劇場版三部作に比べスーパーロボットっぽさがかなり残っている。
投げれば貫通し振れば空母も紙切れのように引き裂かれるビームジャベリンとかいう恐怖の武装、ガンダムと変形合体しまくるGファイター、アッザムやザクレロなどのビックリメカなど劇場版では存在を抹消されたスーパーロボットアニメの残滓がそこかしこに残っているのがこのテレビ版であり以降のシリーズ作品でもなかなかお目にかかれない珍しいものを味わえるのは本作の唯一無二の楽しみと言えるだろう。

ロボットアニメの転換点としてのガンダム。
その狭間にあってスーパーロボット寄りの色を残すのがこのテレビ版機動戦士ガンダムであり以降の作品と比較したときに感じられる異色さでもあると思うのだ。
(めちゃくちゃ凄まじいことをやってるGガンダムに目を瞑りながら)
テレビ版だけの味
劇場三部作と比較した時テレビ版が持っている強みとは何だろうか。
ストーリーの大筋は一緒であり他のガンダムを見るための履修という意味では最短で1stを学べる強みを持っている劇場版三部作の方が新規の人間に薦めるにあたってはやや優勢だろう。
しかしテレビ版にはテレビ版にしかない絶対的な強みがある。
それはとてもシンプルな答え。
カットされたエピソードだ。
劇場版三部作はホワイトベースの旅路を主要なエピソードに限定しかなりコンパクトにまとめたものとなっており序盤から中盤にかけての傑作回があれもこれもと大量にカットされている。
例えば『イセリナ、恋のあと』。
それまでモビルスーツ越しに人間を殺めてきたアムロが初めて生身の女性に憎悪と共に銃を向けられ「仇」とまで罵られる。
不可抗力でガンダムに乗り仕方なく戦ってきた身とはいえその行動が誰かにとっての大事な人間の命を奪い続けているということをまざまざと突きつけアムロの心に大きな傷を与えた重要なエピソードである。
この回より前の『戦場は荒野』で敵軍の親子に情を見せるジオン兵を描くことで敵の全員が悪というわけではない、優しい人間もいるという当たり前のことをアムロと視聴者に見せた前フリからのイセリナ回なので余計にアムロが心に負った傷が深く感じられる。
が、劇場三部作ではこのエピソードがどちらもカットされ『再会、母よ…』でのアムロと母の決別からアムロの不調へと繋がるように編集されており個人的にはテレビ版の積み重ねの方が丁寧でエグさがあり好みの流れである。
他にも『時間よ、止まれ』や『ククルス・ドアンの島』などカットするには惜しすぎる傑作短編エピソードが多々カットされている。
「そりゃあ総集編を作るならこいつらはカットされるだろうけど…」と納得は行くエピソードではあるのだが、戦争とそこに生きる人々の濃密な描写、そしてこれらのエピソードという経験の積み重ねがアムロに蓄積しているか否かは大事じゃないかなあと思うわけで。
また積み重ね繋がりで続けるならキャラクターの描写にも差異がある。
例えばリュウ・ホセイ。
テレビ版の方がホワイトベース隊にとってのリュウの存在感が大きく感じられる。
これによってテレビ版の方がバラバラだったホワイトベース隊が次第に結束を強めていくきっかけがわかりやすくなっているとも思う。
例えばブライト・ノア。
テレビ版では高熱にうなされ代わりにミライさんが指揮を執らなければならないというピンチもピンチな状況になるが劇場版ではカットされ健康艦長ブライトさん19歳になっている。
若さや緊張感がもたらす人間的な弱さや不安定感は劇場版でも感じられるがテレビ版ではもっと強調されている。
さらにいえばジークアクスで一気にメインキャラへと躍進したシャリア・ブルだがまさかのテレビ版にしか登場していない。
(まさしく彼の存在が今テレビ版1stを勧めやすくなっている要因なのではあるが誰がこんな未来を予測できたよ)
他にもジークアクス4話に登場したモスク・ハン博士とかいう優秀すぎる技術者もテレビ版でしか味わえない。

また、キャラクター以外にも前述のようにアッザム、ザクレロ、ブラウ・ブロ、ギャンなどのインパクトある機体の存在もかき消えているし妙にバリュエーション豊かにガンダムと合体変形するGファイターはコアブースターという遊び少なめで落ち着きのある機体に変更されているしガンダムハンマーやビームジャベリンといった武装も姿を表さない。
全体的にテレビ版の方が「なにそれ!」と目を何度も擦って確かめたくなるような尖ったメカが充実している。
これを良しと捉えるか悪いと捉えるかは人によるだろうがテレビ版を見てから劇場版を見ると妙な寂しさに襲われることだろう。
上記のようにテレビ版にはテレビ版にしかない味がある。
確かに劇場版三部作は普及の名作だが、だからといってスルーして前に進むには勿体なさすぎるものがテレビ版のそこかしこに転がっているのだ。
アムロとシャア

で、ガンダムといえばアムロとシャア、この2人だろう。
1stはアムロの成長の物語であるとともにこの2人の長い因縁の始まりの物語でもある。
ガンダムを見たことがないとしてもガンダムという単語の次くらいにアムロとシャアという名前を聞いたことがあるだろうくらいに有名な2人だ。
もしこの2人のどちらかが気になる!という人がいたら絶対に1stを見なくてはいけないだろう。
戦争に翻弄され流れでガンダムに乗り戦うことになった15歳の少年アムロ、出自と野心をひた隠しジオンの中で爪を研ぎ続けてきた若き将校シャアの運命が交錯しそれぞれの物語を濃く彩っていく。
苦悩しながらも仲間達と共に成長していくアムロのジュブナイルと自分の名前と人生を仮面で覆い隠し復讐に魂を捧げた男シャアのストーリーというまるで異なる物語が少しづつ距離を近づけ最終的に大きく激突する構成は何度見ても最高である。
個人的にこの2人の描写で面白いのはアムロとシャアの攻守が終盤になるにつれて逆転していくこと。
最初は精神的にも技術的にも未熟でガンダムの機体性能に助けられ続けてきたアムロが出会いと別れを重ねながら戦場を駆けニュータイプとして仲間からも恐れられるレベルで人間離れした覚醒を遂げる。
それに対して最初はミステリアスなオーラを放ち優れた技量でアムロ達を追い詰めてきたシャアはアムロの成長に呼吸を合わせるかのように仮面で隠してきた弱さや人間らしさを表出し始める。
主人公がめちゃくちゃ強力なライバルに勝つために成長し最終的にギリギリのバトルでなんとか打ち勝つ!主人公勝利!みたいな単純なものにはなっていないのだ。
なんなら終盤ではシャアの方がアムロに執着を見せているまである。
最初はあんなに技量に差があったはずなのに終盤にはシャアの方がアムロに勝ちてえ!ちくしょう!!みたいな雰囲気を纏い出す。
観てるこちらとしても明らかにおかしなくらい強くなっていくアムロに不安感を覚え、同時に人間味を増していくシャアに親しみを覚えていくわけだがこの2人がそれぞれ辿る結末もまたその実感の上に乗っかったように味がして美味い。
美味も美味。
生まれも育ちもまるで異なる2人、この戦争でまるで違う経験を重ねてきた2人の相剋、因縁の始まりでありある意味で運命を決定づけた重要な作品がこの機動戦士ガンダムと言えるだろう。
アムロとシャアが気になる人は絶対に見るべき作品であり、もしもこの2人が気に入ったならばZ、ZZ、逆襲のシャアとその歴史を見届けてほしい。
(ここでアムロとシャアの物語を見たいだけならZZは見なくても良いと言う奴、お前は正しいかもしれんが許せん。あれは逆シャアへの「溜め」としても機能しているんだ!!)
そしてガンダムはこの2人だけではない。
ブライト、カイ、ハヤトなど後の作品にも存在感を残すキャラクター達がたくさんおり本作を見ることでより他作品の解像度を引き上げることが可能だろう。
特にカイ、ハヤトの2人はテレビ版だとアムロと余計ギクシャクしているところが多く見られるので後の作品の人間関係描写の味に深みが増すと個人的には考えている。
また、前述したようにジークアクスに出てきたあの人この人もたくさんいるのでジークアクスきっかけに見た人は一見モブっぽいキャラにも注視しながら見ると新たな発見が生まれるかもしれない。
これで終わってもいいくらいの作品
この1stは前述のようにアムロとシャアの因縁の始まりでもあるが同時に宇宙世紀シリーズの原点でもある。
Zを始めZZ、逆シャア、F91、Vなど多くの続編もそうだしそれぞれの物語の隙間に生まれたポケ戦、08小隊のような外伝的作品、それらの歴史のスタート地点という重要な側面を1stは持っている。
本作を見ているか否かでかなり後続宇宙世紀作品への解像度が変わってくるので無視するにはちょっと存在感がありすぎるのである。
(何を見始めるかは当人の自由ではあるが多分どこかで1st見たほうがいいか…?みたいな気持ちがチラつくと思う)
さらにアナザー(オルタナティブ)作品であるはずのSEEDなんかも思い切り1stオマージュをしているので宇宙世紀から解き放たれた作品を見ようとしても存在感がまるでなくなっていない。
全てのガンダム作品にどうしても存在がチラつく異常存在がこの機動戦士ガンダムなのだ。
というかもはやこの影響力はガンダムにとどまらずあらゆる作品にその痕跡を残していると言っていいだろう。
(NARUTOの角都まで地怨虞だの偽暗だのどう見てもモビルスーツな名前の術を使い出すし気づいたらコナンまでガンダム濃度上がっているしでなんかあらゆる作品を見る上での「見ていたらより楽しめる基本知識」みたいな存在にまでなっている気がしないまでもない)
歴史的な意味合いかもしれないし作品オマージュ的な意味かもしれない。
宇宙世紀にとって、ガンダムシリーズ全体にとっての土台的存在なのだ。
だから見たほうがいい。
というのはもちろんそうなのだが一番大事なのはそこじゃない。
本作がいっちゃん面白いから見たほうがいいのだ。
(※個人的見解です)
古臭さは否めないし度々ネットで指摘される作画の不安定さについても否定はしない。
だがそんなものを吹き飛ばすくらいに機動戦士ガンダムは一個の作品として完成されている。
アムロが初めてガンダムに乗るにあたっての流れの説得力の強さと完璧さ、キャラクター同士の語りすぎない生っぽさを残した関係性描写、そしてジュブナイルストーリーとしての完成度。
そして何よりも本作がたどり着くラストは歴代ガンダムでいまだに最高峰のそれだと個人的には思っているしこの続気なんて作ったら野暮だろと思えるくらいに美しい着地だ。
別のガンダム、もしかしたら全然ガンダムなんかと関係ない作品が理由かもしれない。
きっかけはなんであれもしも本作が気になるという気持ちが芽生えたなら怖がらずに見てほしい。
以上です。
そして最後に。
ジークアクス、極太の導線をテレビ版に引いてくれてありがとう。