あの日の怒りと馬鹿野郎 機動戦士ガンダムSEED DESTINY (2004)

シンとデスティニー アニメ

前作ガンダムSEEDから2年。
あまりにもSEEDが大人気すぎてアナザーガンダム史上初のテレビ続編を作られることとなった今作。
キラ・ヤマトからシン・アスカへと主人公のバトンは引き継がれ新たなる物語は幕を開けた。
…はずだった。

ガンダムファンの間でも大きく、そして長い期間良くも悪くも語られ続けた作品ではあるが個人的にも結構この作品には複雑な感情を抱いている。
リアルタイムで見ていた人ほどその傾向は強いんじゃないだろうか。

後に制作されたHDリマスター等によって本放送時よりもかなり見やすさが増したこともあり近年では当時と比較すればかなり好意的に受け取る人が多くなったという印象がある本作。
(4クール目で流れるOPが『Wings of Words』じゃなくなっているという個人的超減点ポイントに目を瞑ればかなりいい編集がなされていて本放送版とは最早別物のようにすら感じるHDリマスターくん。新規の方々は怖がらずにこれを見てほしい)

「なんでだよ!!!」と思うこともあれば同じくらい好きなところもある、そんな愛憎渦巻く感情を抱いた作品SEED DESTINYについて少しだけ語ろうと思う。

本放送版を見た時のネガティブな気持ちが含まれた記事になっているので嫌な人はブラウザバック推奨。

前作から2年後、前大戦で家族を失ったシン・アスカを主人公に物語は再び動き始める。

新型MSを狙ったアーモリーワン襲撃事件から立て続けに起こるユニウスセブンの人為的な落下、降り注ぐ破片によって甚大な被害を被る地球、それにより対立を深めていくナチュラルとコーディネイター…前作でキラ達が心に傷を負ってまで手にした平和があっという間に崩れ混沌へと世界が堕ちていく様を見せつけるように無情な物語が超スピードで展開された。

前大戦で家族を失ったことから強く戦争を憎む少年シンの剥き出しの怒り、身分を偽り生きていたものの混沌としていく世界を前に自分の在り方に揺れ動くアスランの迷い、戦後ラクスと共に静かに隠居するも崩壊していく世界と時代がそれを許さないかのように再び剣を取ることとなるキラの覚悟、再び混沌へと堕ちていく世界を舞台にこの三人を軸としたドラマを描いたのがSEED DESTINYという作品だ。

こうして書き並べるとかなり上等な素材で作られた作品だと感じることができる。
こりゃ面白くなるぞ!なんて期待感が当時の僕にはあったし序盤キラが出ないことに文句を言ってる友人に「いやお前は何もわかっちゃいねえ」なんて偉そうなことを言っていた。
何もわかっちゃいなかったのは僕も同じだったと後に思い知ることも知らずに。

まあこう書いたように序盤はかなり楽しんで見ていた。
ストーリーも1stオマージュがストーリーライン自体にかなり盛り込まれていた前作と比べ、確かにZガンダムを思わせる遊びがところどころに見受けられるものの序盤からユニウスセブン落下阻止イベントや早々に混乱に陥る地球を描くなどその疾走感ある展開はZガンダムのオマージュではなくあくまでもSEEDの続編として独自路線を行こうとしていたように感じたしこの辺の展開は今見てもかなり見応えがあると思っている。
キャラ描写もシン、アスラン、カガリの3人を中心にその衝突や苦悩、それぞれの決断をバランスよく描いていたように思う。
問題はキラが再び戦場に戻ってからだ。

ラクス暗殺未遂をきっかけにデュランダル議長や今の世界情勢に疑念を抱いたキラ達が再び戦場に戻る物語が1クール目終盤から早々に展開された。
このキラの早々たる復帰をきっかけに最初はシンとアスランを中心にしていた物語の焦点がぶれ始めたように感じる。
物語が進むにつれその焦点はシンよりもキラとアスランに多く当たるようになり、デスティニーがいるべきはずのタイトルバックはストライクフリーダムに奪われEDのキャスト順もシンを押し退け一番上がキラ・ヤマトになるなど劇中描写はおろかそれ以外の部分でまでキラが主人公ですと名乗りを上げるかのような手が加えられ当時かなり引いた記憶がある。

本編が面白いと感じることが出来ていればそれも飲み込むことができたのかもしれないが、見たことのある戦闘バンクや死亡回想シーンの連発、今いちスッキリさせない終わり方をする戦闘など見ていてストレスが溜まるようなものが一週間毎に提供されワクワクよりもムカムカするようになってしまったのが当時の僕個人としての実情だった。
ストーリーそのものに対してはHDリマスターをまとめて見たりスペシャルエディションで振り返った時かなり飲み込みやすかったのでリアルタイム特有の苛立ちだったんだろうなとは思う)

実際のところ、シンの物語も見返せばキラ達ほどの華やかさはないにせよ引くに引けないどん詰まりへとその心が追い詰められていく過程が丁寧に描かれているのでキラに光を当てまくった制作サイドへの苛立ちが目を曇らせていた側面もかなりあるだろうなと今なら思える。

かっこいいし豪華な初登場を飾ったストライクフリーダム、インフィニットジャスティス、アカツキに対して初戦がグフ(乗ってるのが何故か最新機相手にグフで粘りまくるバケモン、アスラン・ザラとはいえ)を発狂気味に撃墜するだけという全然ヒロイックさの欠片もない登場を果たしたデスティニーの扱いなどは今でもちょっとおいおいおいとは思うが。
じゃあどうしたらよかったんだよ終盤に差し掛かってもシンあんな感じやぞって話になっちゃうからもう仕方ないんだけど。

キャラの扱いやバランスの悪さを指摘するとキリがないがテーマそのものは良かったと思う。
デスティニープランを巡る終盤の物語でキラがレイやデュランダルに示した答えは種族や役割といったカテゴライズされたものではなくその更に奥にいる個人に目を向けさせるような前作SEEDからちゃんと引き継がれたテーマを感じるそれだったしこれが後のFREEDOMでもかなり有機的に働いており、凸凹道を走り抜いた甲斐があると個人的には思っている。
本放送版最終回を見た時は絶句したものだが(これに関しては後述する)。

とりあえず個人的に今作に対して抱いたのは「並んでいた最高級食材からは想像できない味付けの料理が提供された」といった印象だ。

しかし前述した通りHDリマスター等のおかげでかなり今作を受け止めやすい環境が整っているしDESTINYで仮にモヤモヤしたとしてもすぐにSEED FREEDOMを見ることで浄化されることが可能であり正直今から見始める人たちが羨ましいところ。
現代社会バンザイである。

新規の人達がかつての我々のように憎悪に塗れることはまあそう起きないだろう。
安心してシリーズに入ってほしい。

リアタイ勢は苦しかったんだ!!それを忘れてはならんのだ!!と決戦兵器を撃つ系の敵キャラみたいなことを新規の皆様に宣う輩も少なくないかもしれない。
無視してOKです。

この憎しみは我々が墓場まで持っていこう。

DESTINYについて書くならまずはこの男だろう。
不憫とか不遇とか何気ない二文字で片付けるにはあまりにもあんまりだった主人公シン。

個人的にはシリーズの中でもかなり好きなキャラというか、その行く末が色んな意味で一番気がかりだったキャラだ。

シン・アスカ
あっちこっちから色々言われてメンタルガタガタになってる終盤のシン、ある意味でシナリオに愛されていたと言えるかもしれない。

「前大戦オーブで起きた戦いで家族を失った民間人」という前作の傷跡そのもののようなその存在はアスランとカガリ、そしてキラに改めて戦争と自分たちのあり方を問いかける役割を持ちつつ、同時にキラたちとぶつかり合うことでその想いを知り、自分を捕らえて離さない怒りを克服し成長していく物語になることを期待して見始めたのだがそれがまずそもそもの間違いだったのだろう。

実際にはシンの精神的な成長はほとんど描かれず(終盤も終盤にちょろっとその兆しを見せるくらい)、終盤提唱されるデスティニープランに疑問を覚えながらも結局は言葉巧みに誘導してくるデュランダルや状況に流されるままキラ達の前に立ちはだかる敵軍パイロットその1のようなポジションに収まってしまった。
この辺のシンが追い詰められていく過程は丁寧で見応えがあるのだがそこから抜け出す物語としての爽快感は薄いと個人的には思っている。

戦争によって引き起こされる悲劇の数々を目にすることで戦争を無くしたいという願いを強くするシンの心に寄り添い導いてくれているかのようなデュランダルの一見優しい言葉に流されることは仕方ないというかまあ自然な流れだとは思うし、それでもまだどこか自分の立ち位置への疑問を捨てきれずにいるところにレイから自分の出自と寿命を合わせたコンボ説得までされたらもうシンは平和を謳うデュランダルの言葉を信じながら友の人生と願いのためにその剣を振うのもまあ自然ではあるかもしれないしと納得しそうになるくらいには1人のキャラクターの物語として結構丁寧な転がり方をしているなとは思う。
しかし…

せめて…せめてストライクフリーダムを駆るキラと互いのMSがボロボロになるくらいの激戦とレスバをしてその中でシンが何かに気づく展開があれば…せめて自分の意思でデスティニープランを否定し最終的にレイを止めるためにレジェンドと戦う、もしくは説得するような展開があれば…いやせめてデュランダルとキラの対峙シーンに立ち会っていたら…などと個人的な願望と感傷に浸ってしまうのだ。
これには僕自身がDESTINYに歴代ガンダムらしさを求めすぎた部分もあるかもしれないけど…

堕ちていくのは一つのキャラクター像としては大好物でありそれはいい。
キラやアスランに主人公を奪われるのもこの際良い。
ただかつて主人公だったものとして、便宜上SEED DESTINYという作品の主人公であるはずのシン・アスカとして、物語の核心に食らいつくようなドラマを最終局面に入れて欲しかったのである。

本編終盤の長めのあらすじや総集編など制作側の余裕のなさや苦労は画面の中からかなり滲んでおり、なんだかまるで作中の頭を抱えて苦しむシン・アスカと印象が重なり、シン・アスカのもがきがそのまま画面に出ていたのかもな、なんてことを今となっては思ったりもする。

そして忘れてはならないだろう。
キラ・ヤマトとその仲間たち。

OP時点でフリーダムに乗ってシンと対立することを予感させてはいたが思った以上に物語に大きく踏み込んできて気づけば主人公みたいな振る舞いで最終決戦を締め括りなかなか困惑させてくれた。

暗い影を背負った前作主人公という立ち位置はいわばZガンダムでいうところのアムロ・レイのそれだろう。
しかしその立ち回り自体はそこまで大きく物語を引っ張るような役割ではなかったアムロに対し、フリーダムでバリバリ戦場を荒らしまわり機体乗り換えイベントまで起こしラスボス相当のデュランダルと問答するその立ち回りはもうアムロとは全然別物なくらいガンガンいこうぜだった。

キラとカツ
カツもびっくり本当に地下にMSを隠してるタイプの前作主人公。(別にキラが隠していたわけではないけど)

戦場に介入してフリーダムで大暴れし余計な被害(ハイネのうっかり唐突死など)を出していく立ち回りは物議を醸したがラクスが命を狙われたことや今の戦争の混沌状態からどちらの軍にも属さず停戦を訴えかける→誰も言うこと聞かないから暴力でねじ伏せる、という流れはまあなんとか飲み込むことはできる。
ミネルバに大量の負傷者を出し死ぬはずのないハイネが死ぬ起点を作ったりとキラ達のせいで生まれた犠牲と背負うべき罪もちゃんと描写されていたあたり絶対正義として描くつもりではなかっただろうとは思うので。

ただ、物語上シンを主人公として動かすよりもキラの方が動かしやすいからか流れるように主人公になっていったのがとにかく解せなくてそこが個人的にはこの作品の一番の引っ掛かりポイント。

タイトルバック入れ替えキャスト順変更などもそうだしストライクフリーダム乗り換えイベントもデスティニー初参戦なんかとは比較にならないくらいドラマティックな演出でみなさんこの男と機体が主人公です!と押し付けられたような気持ちになってとにかく当時はキラが前に来る度にその辺りへの拒否感がすごかったことを強く覚えている。

種族や役割を超えて1人の人間としてデュランダルやレイと相対するキラの構図や演出など見れて良かったなと思える場面も多くあり、なんというかシンとのバランスを整えてくれてたらもっと受け入れることができたのかな、なんて思ったりも。

終盤のレイとキラのやりとりなんかも好きなんだけどそれだけにもっと早く2人の因縁に焦点当ててくれたらなあとか惜しく思う部分もたくさんあったりして、作劇的に意図したものだったのかそれとも制作スケジュールの都合で対立構造の練り込みが甘くなったのかわからないが、こう…キラ達は色んな意味でもどかしい気持ちにさせてくれた存在だったなと感じる。

まあでもZガンダムでアムロ・レイがガンダムに乗ってめちゃくちゃ大暴れしたり物語の核心に食い込むような活躍をしていたら?なifを見ているかのような面白さを感じる部分もあったりはしたけど。

そしてもう1人。
作品の迷走を体現したかのような男、アスラン・ザラ。
シン、キラ、ラクス、ミーア、カガリ、デュランダル、物語の中心に位置するキャラクター全員と交流しその想いを見てきた立ち位置はキラ以上にある意味で一番主人公をしているのではないかなと思っている。
(シン…!!!)

平和のために戦士としての役割を果たそうとザフトに舞い戻ることも、かつての盟友キラとアークエンジェルを討つことが正しいという流れに反感を抱くことも、ザフトを離脱してキラ達に合流することもまあ全部その気持ちは理解できるんだけど描かれ方がちょっと忙しなさすぎて結構アスランの扱いには困惑した記憶がある。

主人公であるはずのシンよりも自分の立ち位置・役割に葛藤するシーンや前に進もうと足掻くドラマが作られていてシンの成長を見たかった当時の自分としては「いやアスランは前作で十分やったから程々でいいよ!」という思いが強かったが提供されたものはアスラン伝説2だったのでそりゃまあ困惑するってもんなわけで。

しかし変なファッションで街を練り歩いたり相変わらずバケモノみたいな白兵戦能力を見せたりとにかく怒鳴ったり殴ったり意味ありげに暗い表情をしたり血まみれになったり見ていて退屈しないくらいのアスラン劇場を展開してくれて絵面的にこんな面白いことできるやつ他にいねえよ!とこいつが暴れてくれたからこそのSEED DESTINYだなと強く感じる気持ちもありかなり困ってしまう。

アスラン・ザラ
本人はいたって真剣なのだがそれも相まって面白さの塊みたいになっているアスラン・ザラ。ガンダム界の橘さんかもしれない。

誰を中心にしてその着地をどうするか決めあぐねている作品そのものの動きに合わせてダンスしていたかのような印象を覚えるのがまさにアスラン・ザラその人であり個人的には作品迷走の象徴のような男なのだが、こいつがああしてくれなきゃSEED DESTINYとは思えないし長きにわたって語られることもなかったんじゃないかとすら思ってしまう。

おもしれー男だよ本当に…

ちなみに説得に応じないどころか発狂してルナマリアごと自分を落とそうとするシンに「この馬鹿野郎ー!!」と叫びデスティニーを破壊、脳裏にニコルや母の顔を浮かべながら切なそうな眼差しを落ちていくデスティニーに向けるアスラン、流れる『君は僕に似ている』、というアスランがシンに向けていた感情を受け取りやすくなったHDリマスター版『最後の力』のED入りは神懸かったそれで、アスランの今作における迷いながら進み続けた道程があったからこその感慨深さがありなんか色々許せるような気持ちにもなる。
本放送版しか見ていない人はHDリマスター版で『最後の力』だけでも見てもらいたい、本当に。

振り返れば振り返るほど主人公すぎるんだよこの男。
(シン…!!)

そしてDESTINYといえばこの人ギルバート・デュランダル。

いわゆる今作のラスボスに位置する存在であるものの自らMSに乗り戦場を駆け抜けるわけではなく、その思想と話術でもってラスボスとしての格を維持し君臨し続けたシリーズとしても特異な存在である。

とにかくレスバが強くクルーゼと仲良かったのも頷けてしまうくらいのレベル。
序盤からその巧みな話術でカガリを一蹴しその後アスラン、シンと次々陥落させその信用を勝ち取っていったしついでに一部視聴者すらも取り込んだ。厄介すぎる。
相手の意見に耳を貸すポーズを見せつつその想いを尊重するような優しい言葉を穏やかな口調で投げかけることで難色を示している相手を華麗に躱したり取り込んだりとその口の巧さはスーパーコーディネイター級。
YOUTUBEチャンネルを開設して人生相談とかやらせたらアホほど稼げそうな気がする逸材である。

今作のほとんどがデュランダルの手のひらの出来事であり悲願とも言えるデスティニープラン実現一歩手前まで事態をほぼ自身のコントロール下においておりSEEDシリーズで最強の敵ではないかなと個人的には思っている。
終盤のやり口はかなり乱暴で焦りのようなものも感じたがその分を差し引いたとしても終盤のデュランダルは世界に対してほぼ王手をかけていたといえるだろう。
キラとラクスさえいなければ勝負は決まっていたのだろうけどコズミック・イラを制するにはこの2人をなるべく長い時間蚊帳の外に置いておくか無力化するかが必須事項なのでこの点をクリアしていなかったのはだいぶ致命的だったなとも思うが。

大体にしてあんな序盤でラクス暗殺未遂なんて起こしてなければキラとラクスをあれほど早く戦場に引き戻すこともなく2人が気づいた頃にはもう手遅れにできていたかもしれなかったのに…と考え続けていたがSEED FREEDOMで開示された新情報を踏まえて改めて考えると当時のデュランダルの思考というか何を警戒していたのかがちょっと見えて来なくもなく…それをここで深掘りすると劇場版のネタバレになりそうなので今は控えることにするが。

ただやはりあの暗殺未遂がデュランダルの数少ないプレミであり自分自身を追い詰めることになる致命傷だったという事実は否定しようがない。
あの敗北はマリュー・ラミアスとかいうナチュラルのくせにコーディネイターで編成された奇襲部隊を白兵戦で一掃できるやばい女がいたこと地下にフリーダムが隠してあったせいなのでデュランダルに同情しなくもない。
フリーダムあるかもくらいには思っていたかもしれないけどまあキラ・ヤマトが乗り込む前に奇襲からの白兵戦で完封できるでしょって思ってたんだろうしね議長。

デュランダルの椅子
デュランダルが座ってる立ち上がりづらそうなクセ強椅子、ボスキャラ感出そうという本人なりのこだわりかもしれないなと思ってる。

また、デスティニープランなどという大層な計画を立てて人類救済を謳っていたが、その根底には社会や遺伝子だのといったもののために好きな女と添い遂げられなかったことからくるワールドワイドスーパー八つ当たりがあったんじゃないかと感じさせるところがありその辺がデュランダルというキャラの個人的お気に入りポイントであったりもする。

(プランに込めた戦争根絶という理想自体は本当だったんだろうけどそれはそれとしてどちらかというと今の人間や社会への絶望や冷笑がプランに込められた主たる想いだと思う。)

壮大な理想を掲げ、巧みな話術で翻弄し、あらゆる悲劇を利用・誘発し状況のほとんどをコントロールしどれほど強大なラスボスのように振る舞ってもそれらを剥がした先に残る彼自身の人間らしさや弱さが見えるところがこのデュランダルというキャラの個人的に好きなところだ。

戦場で剣をとるタイプではないにも関わらずちゃんとラスボスとして怖い存在感を放ち続けた名キャラクターであり、もっと過去の話とかみたいなという気持ちといや悲しい気持ちになりそうだからいいや…という気持ちを同時に生成してくれるガンダム史に残る素晴らしいキャラクターだったと思う。

その言葉や思想は何気に劇場版にまでしっかり爪痕を残していてばっちりとキラを苦しめ続けているんだよなこの人…

ここまででも何度か触れたが本放送版最終回『最後の力』について。
当時この回を見た時まあまあ絶望というか失望してしまったわけで。

一番しっかりやって欲しかった両陣営最強決定戦でもあるキラVSレイ、アスランVSシンを大急ぎで消化、シンと戦うことは愚か肝心のデュランダルとの決着にすらシンを絡ませることもないままキラが全部終わらせる結末(当時はなんだかんだキラとシンがメサイアの中でレスバするみたいな贅沢な期待を番組に寄せていたのであった。未熟の極みである。)、泣きながら空を見上げるシンとルナマリアとその傍でボロボロに朽ち果ててるデスティニーとインパルス、対照的に無傷でピカピカ光り輝きながらストライクフリーダム、インフィニットジャスティス、アカツキの3機がポーズを決めるカット、なんか真顔のキラとアスランが映ってエンドロール、続きに何かシンのフォローがあるかと思いきやストライクフリーダム発艦シーン以外何もないまま終了する番組。
唖然とする僕。

厳密には最終回放映日のリアルタイムで見たのではなく用事があって後で録画したものを見たのだが、テレビの前でリアルタイムであれを見た友人から「この馬鹿野郎!!」とだけ書かれたメールが送られてきたエピソードが個人的な思い出としてこの最終回についてまわっている。
それ以降友人とはSEEDの話をした記憶がない。
今元気にしてるだろうか。

のちに制作されたFINAL PLUS 『選ばれた未来』でなんのしがらみもなく1人の人間としてキラとシンが慰霊碑の前で向き合う追加シーンが追加、更にその後作品を全体的にシーン追加を含む再編集を加え作られたスペシャルエディション、これまで作られたすべてのものを総動員して再編集したHDリマスター版、これらによって本放送版とは比べ物にならないくらい見応えのある、伝えたいこともちゃんと飲み込みやすくなるような構成・テンポで最終決戦を楽しめるようになったもののあの衝撃は忘れ難いものがあった。

なんというかとりあえず終わらせなきゃ間に合わせなきゃ!!という制作サイドの焦りが詰まっていたように感じる。

今となっては名シーンと思える場面の数々も当時は「雰囲気良いこと言ってるけど全然心に入ってこない…」と冷めた気持ちで画面を見つめてしまっていたので再編集された後発の作品を見て「あれ?結構良いじゃん?」と驚いた記憶がある。

この本放送版最終回今見返してもこれはちょっと…となる出来なので気になる人はチェックして見てほしい。

アスランがシンを蹴散らして畳み掛けるようにメサイアで対峙するキラとデュランダルの決着まで詰め込んだ本放送版に対し、HDリマスター版『最後の力』はシンとアスランの決戦が終わるところで一区切り、残りのメサイアでのキラとデュランダルの対峙、慰霊碑での再会を次話の『選ばれた未来』で消化しておりかなり本放送版と比べ印象が変わる。
というかもはや別物である。

キラの安否を心配するラクス、星のように瞬いている停戦信号、アスランの言葉を反芻し月面で泣いているシンを放っておけずジャスティスで迎えに行き手を差し伸べるアスランなどこれらがあるだけでももう全然最終回の味が違う。
特に手を差し伸べるアスランのくだりとかそれだよそれ!欲しかったよ!!と大喜びモノ。
これのあるとなしではもう全然違うよ…

本放送時絶望した人間ほど何度もリメイクされ完成したこの最終回を見ようとはしなくなっているだろうがそう言う人にほどやはりもう一度向き合ってほしいという気持ちがある。
FREEDOMで浄化された人ももう一度振り返ってはいかがだろうか。
きっともっと肩の力を抜いて楽しめると思う。

そして物語は劇場版SEED FREEDOMへと続く。

FREEDOMの完成度、これまでの作品が積み重ねた時間やキャラに正面から向き合い答えを示すような物語はDESTINYに抱いていた負の感情や何もかもが浄化、もとい成仏させてくれるそれであり、個人的にはある意味でDESTINY完結編のようにすら感じられるくらいDESTINYからの遺伝子を強く感じる映画だった。

いくら物語を受け止めやすい編集がされているHDリマスターで見たとしてもきっと飲み込みきれない人はそれなりにいると思う。

そんな人はSEED FREEDOMを見てほしい。

DESTINYまでの歴史と向き合い作られた事実上のDESTINY完結編ともとれる作品だと個人的には思っているし、負の感情を抱いた人間を成仏させてくれるそんな除念映画だ。
もし今作に納得できないと感じたりモヤモヤが残った人はそのまま劇場版へと駆け抜けてほしい。

そしてその上で改めて今作を見てほしい。
きっと劇場版を見たからこその視点で良いところをたくさん見つけられると思う。

それはあの頃の我々には無かった救いなのだ。

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