1時間でわかるコズミック・イラ 機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER(2006)

STARGAZER アニメ

「とりあえず上を見ておこうかなって」

SEED FREEDOMが界隈を賑わせ再びのSEEDブームが世に巻き起こった2024年。

2004年の間違いじゃないのか?というくらいSEED関連商品が出てくるので脳がバグを起こしそうになる。
仮面ライダー555の新作まで出てきたから余計である。

そんなこんなで新たにSEEDに触れる人もいれば見返している人もいるだろう。
だが多くの人はSEED→SEED DESTINYの流れを追っているだけじゃないか?
実に真っ当だよ。
FREEDOMを楽しむには十分すぎるくらいだ。

しかし!

忘れちゃならない名作が一本あるんじゃないか?

そうだよSTARGAZERだよ。
今回はこの作品について書いていこうと思う。

スターゲイザーとは

当時公開予定だった劇場版SEEDを筆頭に外伝や続編で世界観を広げコズミック・イラを宇宙世紀のようにボリュームたっぷりにしていこうという目論見が垣間見えた頃に作られたSTARGAZER。

時代設定はDESTINYと同時代、キラやアスラン、シン達の戦いの裏側で各地で起きた局所的な争いを短い時間で群像劇的に切り取って描いたものとなっている。

戦闘シーンはSEED本編と比べると華やかさに欠けるものの最小効率で観た者の脳に焼き付くようなインパクトのあるシーンが多い。
というかまあまあ結構エグい。

また、主人公は技術者かつ女性主人公のセレーネ&本編でもお馴染みファントムペインの一員スウェンという組み合わせ、更にタイトルにあるスターゲイザーも戦闘目的に作られたものでなく外宇宙探査用機体と何もかもガンダムシリーズ全体から見ても珍しい組み合わせになっていてSEED本編とは違う切り込み方でコズミック・イラを描こうという制作側の思惑や姿勢が見える(ような気がする)。

特徴的な主人公二人に加え生々しい災害描写や重厚な戦車戦というガンダム的には渋めの戦闘シーン、一人一人にエピソードを感じさせる印象的なモブキャラ描写、各キャラのエグい死に方と思いつく限りの特徴をあげるだけでもSEED本編よりもちょっとターゲット年齢層を引き上げた作りになっていることがわかる。

STARGAZERを支えた端役達
ちょい役一人一人の言葉や表情、仕草に生きた人間を感じるSTARGAZER。端役の扱いがめちゃくちゃ上手いと思う。

当時否定的な意見が目立ったDESTINYに比べると短い時間ながらにこれらの要素を一本の物語の中にうまく纏めた本作はそこそこ評価が高かったように思うし個人的にも当時から結構お気に入りの作品だった。

ただ年月の経過やいくつもの新作ガンダム達の誕生もあって近年ではあまり話題に上がることも少なく、FREEDOM公開した後にも(FREEDOMで本作要素に触れることがないためだが)STARGAZERが話題に上がる機会が恵まれなかったように思う。
(僕の観測範囲の話なのでもしかしたら見えてないところで盛り上がっていたかもしれん)

そんなこんなで今となっては隠れてしまっているのかもしれないが、間違いなく名作である。

「先生が言ってた。良いコーディネイターは死んだコーディネイターだけだって」

このSTARGAZERという作品、FREEDOMを観るためという意味合いではキラやアスランが登場しないため必ずしも見なくてはならない作品というわけでもなく、というかむしろ見なくてもFREEDOM鑑賞においては何ら問題ないまであるのだが一個の作品として個人的には結構すごいと思っていたりする。

全3話構成でありながら全部合わせても1時間にも満たない作品なのだが、そんな短い尺の中で時系列的にはDESTINYのブレイク・ザ・ワールド発生直後からDESTINY終盤までの裏側を複数の視点で駆け抜ける群像劇をしつつちゃんとその上でSEED外伝として成立させるという案外高度なことをやってのけている。
(あと妙に名言が多い。好きな台詞回しだらけすぎる)

そして何よりもコズミック・イラを短時間で味わうのにこれほど最適な作品はないだろう。

ブレイク・ザ・ワールド発生直後の地球という時代も舞台も修羅場オブ修羅場なところからいきなりスタートダッシュを決める時点でとんでもない濃度の高さを予感させる本作。

ある都市は爆風で吹き飛び地図からその姿を消し、またある都市は津波に飲まれと5分も経たない内に地球が滅茶苦茶になる様を見せつけられそこにダメ押しのように混乱の最中テロ行為を行うモビルスーツ、それに戦車一台で立ち向かい命を散らす戦士、焼夷弾で蒸し焼きにされるモビルスーツのパイロット、開かれたコクピットに転がるのはナチュラルへの報復を誓ったコーディネイターの少年らの遺体とあれよあれよというまにザ・コズミック・イラなしんどすぎる映像がドカドカ流れてくる。

まさに濃厚凝縮された絶望であり、それはまさしくコズミック・イラそのものなのだ。

それが突きつけてくる破壊と絶望は計り知れず、短い時間の中で「こんな時代に何をどうしたらいいんだよ…」と観ているこちらが折られそうになってしまう。

そこにキラとアスランはいなければシンもいない。
何とかしてくれそうだなと思える主人公は誰一人といないのだ。

どちらの陣営も仲間は次々にあっさりと死んでいくしそこにフリーダムが舞い降りることもない。
ガンダムの名を冠したモビルスーツに乗っているとは思えないくらいにあっさりと人間の命が浪費され散っていくその光景には呆気にとられることだと思う。

バクゥの群れが倒れたモビルスーツのコクピットを執拗に狙いパイロットを生きたままザクザク刺し殺すシーンはトラウマ級である。

ついさっきまで軽口を叩き合っていた仲間がヘルメットの中に血を溜め絶叫を上げながら嬲られ続けるその光景は絶句する他ないが民族間対立とそこからくる憎悪の深さが頭ひとつ抜けて凄まじいコズミック・イラの戦争のリアルを見たようで引くよりも納得の方が強いかもしれない。

ナチュラルとコーディネイターが互いにぶつける憎悪、そしてそこに巻き込まれる子供、その子供を使って繰り返される惨劇、地平の彼方を見つめてもひたすらに絶望が広がっているような虚しさに都度襲われる。

とにかく超濃厚コズミック・イラなのだ。

シン達の戦いの裏でどれほど悲惨なことが起こっていたのか、DESTINYの時代を補完する役割として、そしてキラやアスランがいない物語を見ることでコズミック・イラがどれほど苛烈な時代なのかを再確認するための作品としてこれ以上ないほどに優秀な作品なのである。

ほんの少しの希望

「貴女に似た人を、知っているような気がする…」

しかし本作の真の魅力はそこではない。
その誤魔化しゼロの絶望級コズミック・イラ描写の中にきちんと光を射し込ませるところだ。

STARGAZERは時代のどん詰まりにいるかのような息苦しいほどの絶望を見せながらその一方でナチュラルとコーディネイターの間にどれだけ深い溝がありどれだけ激しく対立していたとしてもそこにいるのは一人の人間であるという本質的な面も差し出してくる。

歴戦の男も、若い兵士も、研究者も、そして彼らに関わった誰もが静かな夜に空を見上げたり、両親のことや幼少期に思いを馳せたり、子供のために涙を流したり怒ったり、胸に夢を抱いたりする一個の人間であり、ナチュラルやコーディネイターというカテゴリーによって分けた所でどっちが良いも悪いも無く等しく人間であるのだということを改めて教えてくれるのだ。

立場も人種も関係なく、人には隣人を愛するための心があり武器を捨て向き合った時にきっと人は共感できる、現実はそんなに都合が良くないかもしれないがただ確かにそうあったらどれだけ良いだろう、そうあって欲しいという誰かの願いのような「希望」が絶望たっぷりの世界とシナリオの中で輝いておりこれがすごく眩しい。

このSTARGAZERはコズミック・イラという時代に翻弄された人々の物語のほんの一部に過ぎない。

だが本作を見ることでSEEDやDESTINYで関わった何気ない命の一つ一つにもこういう想いがあったのだろうかとちょっとSEEDシリーズそのものの重さが増したりもしてDESTINYの補完ストーリーとしてはしんどすぎるくらいではあるがもしSEEDの世界をより味わいたいと言うのであればSTARGAZERの絶望と希望は最高のスパイスになってくれることだろう。

アスランとカガリの出会いを描いた『二人だけの戦争』なんかが好きな人はタイプは同じだけどいざ噛んでみたらあれとはまた違う味が染みてくる名シーンも見れて大変楽しいんじゃないかなぁと個人的には思う。

国だとか人種だとか大まかなカテゴリーではなくそこにいる個人の想いを見つめるというのはすごくSEEDしてるので見ていない人には是非見てほしい作品である。

エドモンド・デュクロ
イケオジ好きのそこの君。ここにはCV.中田譲治なコズミック・イラ屈指のイケオジがいるぞ。おいでよ。

最後に…

あ〜外宇宙探査に向かったスターゲイザーが宇宙クジラと接触するSFパニックみたいな導入から始まるSEED新作来てスターゲイザーの物語とキラ・ヤマトの物語が交わらねえかなああああ

後メタルビルドでブルデュエルとヴェルデバスター出ねえかなああああ

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