-全米が封印した今年最大の問題作-
目を覚ますとそこは見知らぬ土地、周りにいるのは面識のない12人の男女、そして中心にポツリと置かれた武器庫。
困惑する男女の目を覚まさせるように鳴り響く銃声。
幕開けたるは富裕層による人間狩り。
訳もわからず狩られていく貧しい人間達の残酷殺人ショー。
のはずが…?
…と、今回は人が持つ決めつけや思い込みそのものを映画のギミックとして機能させながら濃い目の社会風刺を多量のバイオレンスとともにハイテンポで描き、さらにはダメ押しにあのトランプ大統領に目をつけられたなんてつきすぎなくらい箔がついちゃった個人的傑作映画ザ・ハントについて。
本当なら予備知識ゼロで見る方が絶対に面白いんだけど、この作品について触れるとどうしても「知らない方が楽しい部分」に触れちゃうことになると思うのでこの映画が気になっていて尚且つ余計な情報を入れたくないという人はブラウザバック推奨。
第一印象の罠
この映画のキービジュアルや予告を見てどんなモノを連想するだろうか。
どんな映画だと思うだろうか。
大体の人が人間狩りだとかソリッドシチュエーション・ホラーだとかそんな感じの映画であることを期待するのではないだろうか。
罠である。
この映画はいかに人が与えられた情報を自分の中の印象や思い込みに引っ張られた形で受け取ってしまっているのかをいやらしいくらいに映し出す内容になっている。
そう、まず我々は「こういうジャンルでこういう内容だな」という先入観を持ってしまった時点でこの映画が仕掛けた第一の罠にハマっているのだ。
観客の思い込みを利用して観客を驚かせる手法そのものは昨今そこまで珍しいわけではない。
それこそ個人的傑作『サプライズ』なんかもまさにこの映画に近いやり方で我々を驚かせてくれた。
しかしこの映画のすごいところは単にポイントポイントで驚かせるだけでなく、「思い込み」「第一印象」「偏見」「断片的な情報」等を持った人の思考・行動の危うさを指摘するかのように作品全体に罠が仕掛けられ作品テーマと連動するようにギミックがしっかりと機能していることだと個人的には思っている。
しかしそれでいて映画の中で起こっている出来事そのものは難しいわけではなく、瞬間瞬間にハッとさせられるような時が訪れるというのががなんとも悔しいくらいに気持ちいいのだ。
いちゃいけないタイプの人がいました
じゃあこの映画が本作の第一印象を破壊するために何を仕掛けたのか。
シンプルである。
めちゃくちゃ強い女を投入したのだ。
12人の男女、用意された武器、狩られていく人間の姿をまざまざと見せつける残酷ムービーの様相をなしておきながらその中にたった一人アホみたいに強い女を入れただけだ。
これによりあっという間にこの映画が纏っていたはずのホラー色は剥がれ落ち、狩る側は狩られる側へ、人間狩りは人間狩りでもまるで別のジャンルへとその姿を変貌させてしまった。
その恐るべき女の名はクリスタル。
この手のホラーの常識がまるで通用せずありとあらゆる罠に対応し次々と敵を蹂躙・返り討ちにしていくその様はさながら女版ロバート・マッコール、ランボー、ジョン・ウィック…いやもう何でもいいや。
とにかく強いのである。
このクリスタルの台頭により本作の纏っていた不条理ホラーの鎧は砕け散り、あっという間に「手を出した連中の中にやばい奴がいて大変なことになっちゃう」系映画になったのである。
(狩る側(富裕層)からすれば不条理ホラーかもしれないが)
次から次へと頭が吹き飛んだり内臓ぶちまけたり嘘みたいなスピードでのっけから登場人物が退場していく中一人だけアクション映画からやってきたかのような強さで暴れるクリスタルの存在はとにかく異質で見ていて笑いが止まらなくなるくらいに圧倒的な安心感さえある。
相手が高齢者だろうと誰だろうと関係なく葬っていく姿は生き生きしていて美しく、なんだか羨ましささえ覚えてしまう。
退屈で平凡、なんの刺激もない繰り返しの日々の中に訪れた非日常を休日のイベントかの如くこのクリスタルは謳歌する。
多くは語られないクリスタルのバックボーンだが、どこか彼女の楽しげにさえ見える姿に共通の背景や心情を感じ取り観客に共感や羨望を抱かせてしまうだろう。
そんな危険な魅力までもをこのクリスタルという女性は持っている。
単にめちゃくちゃ強くてかっこいい、だけじゃない何かをこのクリスタルという女性は持っているのだ。
この手法によるジャンル法則破壊は珍しいわけではないのに本作が妙に印象に残るのはこのクリスタルというキャラクターの魅力そのものが本作のフックとして大きく機能しているからだと思う。
その思考の全てを登場人物はおろか観客にすら読み取らせず、自身の背景の真実すら曖昧にしながらただ敵を駆逐するために突き進んでいくその姿は魔性だ。
すごく目を惹かれるキャラクターなのだ。
これは多分演じたベティ・ギルピンの素晴らしさによるところも大きいだろう。
(目をひん剥いたような表情やよくわからんタイミングで口を引き結んだりスン…とした表情が多い分たまに見せるそういった表情変化にすごいインパクトがある。記憶に残る名演だと思う。)
ソリッドシチュエーション・ホラーという土台の上に立つには強すぎる女クリスタル、彼女の存在がこの映画で最も視覚的にわかりやすい特徴の一つであり、この手のホラーが苦手な人にも安心して欲しい素晴らしい娯楽作品になっている理由のひとつだ。
風刺
そしてこの映画はただ強い女の鬼無双を見るだけの映画ではない。
痛烈なまでの現代風刺が光っているのだ。
既に前述したように本作はいかに人間が表面でしか物事を判断しないか、第一印象や思い込みだけで他者を決めつけてしまうのか、視野を広く持ち冷静に見ているつもりの我々観客にその事実を突きつけ「ほらな、お前もそうだろ」と指を差して笑ってくるようなシーンがたくさん詰まっている映画である。
例えば我々はこの映画が始まってしばらく本作の富裕層達は本当にこういう人間狩りを定期的に行っている激ヤバ集団と認識してしまう。
しかし実際にはそんなことはこれまでやったこともなく、富裕層間でジョークで喋っていた「マナーゲートでの人間狩り」のやりとりがネット上に流出しそれを真に受けた人間達からSNS上で袋叩きにあった復讐から始まったものである。
「嘘だろそんなしょっぱい動機かよこいつら!?」と敵のこれでもかというスケールダウンに観客は衝撃を覚えるだろう。
しかしこれは我々が決めつけていただけに過ぎない。
狩られる側=富裕層を叩き陰謀論を語っていた貧困層の「マナーゲートでの人間狩り」という情報を正しい情報であるかのように観客である我々は信じ込まされていたのである。
この構図はネット上に流出した情報を真に受けて決めつけた貧困層達と登場人物の一人の言葉を状況説明であると信じた我々観客は大差ない判断を行ってしまっているということである。
人は目の前の情報から都合の良い解釈をし相手のことを決めつける事の証明をされた気分で悔しいのだがこれがちょっと気持ちいい。
こんな感じで次から次へと自分の認識の正しさを試されるような場面がいくつも訪れる。
「目の前に配られた情報」、その脆さ危うさを思い知ることができる映画なのだ。
目の前に現れた難民や助けに来てくれた大使館員、はたまた行動を共にした仲間、彼らの立ち位置が果たして彼らが語った通りのものなのか、劇中で答えを示すものもあれば示さないものもあり露骨にこちらを試してくる。
そしてその焦点は主人公であるクリスタルにも向けられる。
ラスボスであるアシーナはクリスタルを復讐の相手であるとして屋敷に招き1VS1の戦いを挑む。
しかし当のクリスタルは同じ街にいる同姓同名の人間と人違いをしている、と言う。
アシーナはそれを信じずに問答無用で殺し合いを仕掛ける。
決着の時、アシーナはクリスタルに再びクリスタル本人かどうかを問うがクリスタルはこれを否定する。
そして一見本当に単なる人違いだったかのような空気になるのだが…
本当にそうだったのだろうか。
結局のところ我々にその判断をすることは難しい。
本人でもなければ当事者でもないからである。
もしかすると本当にクリスタルはSNSで富裕層批判をする正義のインターネットマンを気取っていたのかもしれない。
もしかすると本当にクリスタルは同姓同名の別人と間違われただけかもしれない。
この映画を見終わる頃観客は目の前に与えられた情報を鵜呑みにすることの危うさを思い知っている。
だからこそ最後の最後、エンドロールを眺めている時思うのである。
「クリスタルは何者だったのだろう」と。
社会風刺
と、そんなこんなで本作はSNS上で他人を容易に攻撃し、最悪の場合死に追いやることすらできてしまう現代社会に必修科目にしてもいいくらいの映画だと思っている。
というかネットリテラシーちゃんとしなきゃな…と自戒できる映画というか。
陰謀論なんてもうすごく身近にあるし眉唾すぎる情報もたくさんある。
それらだけじゃなくてどこソースだよみたいな情報、主観による印象に基づいた特定人物の批判、特定発言のごく一部を切り取りそこを広げ相手を批判する発言など相手の印象の方向を操作するための情報は山のようにSNS上に溢れており正直眺めるだけでうんざりするところではあるが、ちゃんと冷静に処理し発言できるようにしなきゃなと思わされた次第である。
うっかりマナーゲートに呼ばれたらたまったもんじゃないからね。
それはそれとして爽快
とまあ何やかんや偉そうに書き連ねてきたわけだが…
それはそれとして爽快な映画なんだよ。
極論に偏る人間を馬鹿にしながら全力で暴れて全力でふざけてくる力強さも最高なんだけど、ただただ映画そのものに爽快感があるんだよ。
陰謀論者やら差別主義者やらなんかめんどくさい自己満足の綺麗事を押し付ける奴らとかまさに現代に蔓延ってる類の厄介な連中そのものが本作に闇鍋の如く突っ込まれ登場人物として動いたり喋ったりしている。
そいつらが兎にも角にもひでえ死に方をしていくのだ。
綺麗事並べながら人間狩りに加担する金持ちもSNSの情報に踊らされて声高に触れ回る陰謀論者もまとめて一切合切鏖殺である。
正直スッキリする。
色々内包したテーマがあるとは思う個人的にはこれに尽きる。
もしSNSを徘徊していてうんざりしたら本作を見るべきである。
最っっ高!!と爽快な気持ちになれるだろう。
僕はなった。
現代必修科目的傑作映画ですよこいつは。