-歩くか死か-
スティーブン・キングが学生時代に執筆したという初長編作品『死のロングウォーク』の映画化作品ということでちょっと話題になっていた本作。
アマプラに来てたので早速視聴。
戦争で終わっちまった空気の国を盛り上げるべく行われる「ロングウォーク」という競技に参加し莫大な賞金と願いを一つ叶える権利を得ようとする若者たちの物語。
いや…だいぶ面白かったですね。
というかよかったです。
観て良かった〜と思える一本でしたわ。
景色はほぼ変わり映えしないし絵面も華一つなく男衆が歩いているだけ。
何ならクソも漏らすしションベンも撒き散らす。
更に言えば派手なアクションなんて全然ないし話運びも主人公たちの歩幅に合わせたかのように単調(たまに加速するけど)、なのに全然退屈することなく最後まで目が惹かれ続ける作品。
グロもそこまでド派手なものがあるわけではないけれどちゃんと肉体にどんなダメージが入っているのかこちらの痛覚を刺激してくる丁寧なグロで個人的には結構キツめかなと。
一番きつかったのは捻れた足首を引きずって歩いているシーン。
血で赤黒くなった靴下、普通じゃない角度に折れ曲がった足首、そしてそれで地面を踏み続けているという事実に見てるこちらの足首までじんわり嫌な感覚に覆われそうになって本当に嫌だった。
全体的には少ないとは言え、ズザーっと転んだだけのシーンでも「うわいてええ!!」ってなっちゃうようなダメージ表現が冴え渡っていたし下痢を撒き散らすところも音と映像を遠目とはいえはっきりと見せに来るし人間の尊厳と死に真正面からカメラを向けてそれをこちらに映し見せてくれるので気持ちはフ××ク!ロングウォーク!!である。(褒めてる)
また、全体主義に支配された国家を舞台に行われるロングウォークという競技はモロに徴兵そのもののメタファーでありだからこそ全体に漂う閉塞感、乾いた諦めのような空気が観ていて首を締め付けられているかのようで素晴らしい緊迫感を生んでいた。
そしてただ辛く苦しいだけでなくその中で育まれる若者同士の友情や葛藤など丁寧な青春群像劇が描かれそれが重く苦しい世界観に爽やかな風をも吹かせてくれていたと思う。
(まあその青春模様が辛さを更に増幅させるように機能していたわけなんだけど。)
主人公であるレイとピーターはもちろん、そこから広がる友情の輪が眩しくてしょうがなかった。
軍に銃を向けられながら死ぬまで終わらないデスゲームをやらされてるとは思えないくらいに青春映画を見ているかのような気持ちにさせられたよ。
鑑賞時間が刻まれるごとにその人のことを知ってしまい、だからこそその死を惜しみ「歩け、頼むからまだ歩け」と諦めるな生きろと願いながら見てしまって最後の方はずっと誰かが脱落するごとに勝手に涙が流れてしまってずっとしんどかったなと。
しかもレイと母親の愛が描かれることで他のキャラクターにも同じように帰ってくるのを待っている両親がいるんだよな、この残酷な光景をテレビで見て泣き崩れてるかもしれないんだよなという想像まで働いて余計にしんどかった。
いやホントこれテレビ中継してるとか何事。
箱根駅伝くらいのノリでデスゲーム中継するなよとんでもねえな改めて。
で、特徴的なのがこの手のデスゲームものには裏切ったりする悪人がつきものだと思うんだけどそれがいないというところ。
正直もっとドロドロの人間バトルが見れるかと思ってたらまるで学校の中みたいに和気藹々としたりたまにギスったり仲直りしたりと10代の青春模様みたいなのが展開されていてそこはいい意味で裏切られたかもなとも。
一応少佐含む兵士たちが本作でいうところの悪役ポジションではあるんだろうけど作中で指摘されている通り少佐は別に元凶というわけではなく、あくまでもロングウォークの象徴的存在としてそこにあるだけで結局は大きなシステムの一部に過ぎない。
若者たちの中にも一人バーコヴィッチという悪ガキみたいなしょうもない奴がいるがこれも違う。
おふざけの延長で間接的に一人の死を招いてしまいそれを強く非難される展開もあるし最初からしょうもない絡みを周りに振り撒きはするが結局はそういう誰かを傷つけるやり方でしか他人との接点を作れない最後まで悲しい少年でしかなく悪人といえるほどのものではない。
巨悪を討つ!!というストーリーではないし何かを排除したところで大きくシステムを変えられるというわけでもない。
じゃあ何をしているのかというと、「生きてる」。
理不尽な世界、不条理な環境でただ懸命に自分の人生に向き合って生きている若者たちをカメラは映し出しているのだ。
身の上話をしたり励ましあったり、転べば起こそうとするし歩けなくなりそうなら支えてあげようとする。
最後の一人になるまで終わらないゲームなのだから率先して蹴落としていくべきはずなのにそんなことは全くせず、みんなで存在しないゴールを目指しているかのように一丸となって歩もうとする。
人間の善性を信じすぎちゃいやしないかい?とも思うが多分この映画はこれでいい。これがいい。
半強制的に参加させられているロングウォークというシステムに、銃を突きつけ恐怖で支配しようとする軍に反抗するように、不条理で真っ暗な世界に美しい光を見つけようとするその姿は全体主義によって殺された魂を呼び起こそうとしているかのようであり紛れもなく彼らはあの一瞬一瞬を生きているのだと実感できてめちゃくちゃに感情移入できてしまった。
だからこそ終盤畳みかけてくる別れのラッシュにいちいち泣かされてしまったわけなんだけど。
ただ、この青春に涙を流したり感動することにも抵抗のある作品である。
本編内にたびたび姿を現すロングウォークの見物人はおそらく観客のメタファー。
見物人については捉え方一つで変わるとピーターは言うけれどやはり下卑た観客に見えてしまうのだ。
彼らの友情と別れに涙を流しその結末に拍手を送りたくなる自分がロングウォークで死んでいく若者を眺めエンタメとしていた見物人たちと同じかと思うと何とも複雑な気持ちになってしまう。
そして複雑ついでに言えばこのロングウォークというイベントがなければ彼らは死ななかったかもしれない。
しかし彼らが出会うこともなければ友情を育むこともなくただ全体主義の中で漫然と長され生きていくだけの存在として生を終えたかもしれない。
ロングウォークがあったからこそ彼らはかけがえのない友情を得られた。
そしてロングウォークがあったから彼らは酷い死に方をした。
この映画に美しさを見出している自分がまさに見物人と重なり、更には社会に活気をもたらすロングウォークのあり方を肯定するための一部になったような感覚にすらなって、そこが悔しくもある。
しかしその悔しさも含めて素晴らしい鑑賞体験であったと賞賛したい。
人生を生きる意味について改めて考えさせられる素晴らしき名作。
ロングウォークが人生そのものであるなら、我々も彼らと同じく死ぬまで歩き続けねえばならないのだから。
げんなりするね!!
無様に生きるか!
