知らない人の方が珍しいくらいの「恐竜といえば?」で真っ先に思い出す人も大勢いるだろうあの傑作。
ジュラシック・パーク
せっかくの新作が一年近く前に来たってのにそう言えば見てなかったし「じゃあ新作チェックするついでに見返そうかな」となんとなーく初期三作を見返してみた。
覚えてるところもあればまるで覚えていないところ、見ていて「あったわこんなん!」と嬉しくなるところ様々あってまあ実に楽しませていただきました。
というわけで今回は久しぶりに見返したジュラシック・パーク1〜3について子供の頃見た時の印象とか思い出なんかも交えつつそれぞれ語っていきたい。
ジュラシック・パークというと初めて見た時はもう本当にガキもガキ、物心ついてんのかついてないのか記憶も朧げな時代のこと。
それでもこのジュラシック・パークを見た時のことは覚えている。
それほどまでに子供心に強烈に突き刺さる作品だったということだろう。
とにかくまずワクワク3割恐怖7割くらいの感情配分で楽しいより怖いが勝っていたように思う。
映画というものが作り物であるということはなんとなく理解できていたと思う。
でも映画内に映っている恐竜は間違いなく本物だと思っていた。
この地球上のどこかにこの恐竜たちはいる=自分もいつか遭遇して食い殺されると考えギャン泣きするのは必定。
初めて「怖い」という感情を覚えたのはこの映画のせい(おかげ)かもしれない。
なのに同時に恐竜への知的好奇心は高まり本や恐竜グッズを求めるという矛盾。
これぞガキ!!
とまあそれほどまでに鮮烈に子供の心と記憶を焼いた名作ということである。
当然見返して湧き上がるのは郷愁。
そしてそれだけではない感嘆。
今見返しても恐竜の存在感、迫力、「恐竜がそこにいる」という説得力は健在で30年以上も前の作品なのに恐竜周りの映像の違和感のなさに驚愕を覚えてしまった。
とりあえず一作ずつ振り返っていきたい。
ジュラシック・パーク(1993)
良くも悪くも強すぎる原点の一作目。
幼少期の子供に恐怖とワクワクを同時に叩き込んでくれた傑作映画である。
強すぎるからこそこの一作目の印象がこびり付いてしまい後続作品の評価が渋くなりがちなところではあるがそれは名作の運命というほかないのだろうか。
テーマ曲を流しながらグラント達がブラキオサウルスと遭遇するシーンの「最高のテーマパークに来てしまった」と思ってしまうほどの高揚感は今もまだ胸に残っている。
(見返したからだけど。)
CGとアニマトロクスを駆使した恐竜映像は迫力満点。
子供の頃「恐竜本当にいたんだ!!!」と信じこまされたほどの極上体験は大人になってからでは得られなかったことと思う。
だからこそそこに生まれる恐怖もひとしおだったわけだが。
何度も見た作品ではあるものの今見返すと子供の頃以上にハモンドの夢と浪漫に突っ走る狂気のやばいこと。
生命倫理をヨソに置き夢のためにまっすぐ走り抜こうとする夢想家、純粋さは眩しいけれどその後ろについてくる人間がみんな同じ気持ちとは限らないことやその果てに生まれる代償もきちんと描いていてそこがまた生々しいものであるなと思うところ。
子供の頃植え付けられたトラウマその1ネドリーがまさにハモンドの栄光の影とも言える存在だったわけだけど今見ても、というか今見るからこそ伝わってくる賃金問題とそんな危うい人間を技術力があるからというだけで中心人物として起用している組織としての脆弱性と影の部分の濃さをより強く感じられるようになってしまったのは良いことなのか悪いことなのか。
子供の頃はスルーしがちな部分だけど大人になるとこの辺が気になってしょうがない。
ネドリーはブラック企業で酷使された可哀想な奴という見方をする人は現代でこそ多くいるのかもなーなんて思ったりもしたけど個人的にはアホなことしたなこいつって印象は変わらず。
問題を解消しないままパークの管理システムをまるっと預けるほぼワンオペみたいな起用をし続けたハモンドも夢や浪漫に誰しもがついてきてくれると思っているのか、やりがい搾取なんて言葉も現代では生まれたけどそこに当てはまるところあるのかもなって。
原作だとハモンドが結構やばいらしいんだけどまあヘンリー・ウーみたいな研究大好きっ子にはたまらない環境で、普通の社会人のように給料なり福利厚生なりを求めるタイプには辛い職場だったのかもしれない。
個人的にはネドリーが金ないのはネドリー自身の問題とハモンドが指摘していたように単にネドリーのお金遣いが荒かった可能性が高いと思ってる。
流石にシステム管理をここまで丸投げしておいて報酬が不十分だったとは思い難いし…
自分が重要な存在と理解するほどに元々の契約以上のものを次々要求するようになったんじゃないかなーとか、ふわっとした想像でしかないんだけど。
まあ暴風雨の接近なんかも重なってしまったことも大きいのかもだけどネドリーがいないだけでてんやわんやになりすぎなので遅かれ早かれこのパークはろくなことになってなかったと思いますよと。
本格的にパークを稼働させて客を呼び込む前で良かったとしか言いようがないぜ…
(パーク稼働後にトラブってたらなどうなっていたかは四作目のワールドの惨劇っぷりが証明してくれているね!)
後やっぱりティラノサウルスぐらいのサイズ感に襲われるよりも人間よりちょい大きいくらいから小型のサイズに襲われるのが一番怖いよって意識は子供の頃から変わらず。
というかその意識はこの映画によって植え付けられたのかもしれないんだけど。
ディフォロサウルスに毒ぶっかけられて車の中で食べられちゃうネドリーとか襲われる瞬間まで格好良かったのにラプトルに組み敷かれて食べられてる間情けない悲鳴をあげてしまうマルドゥーンのシーンとか今も昔も「怖っ」と思わせるのはほどほどのサイズ感の恐竜に襲われているところ。
(マルドゥーンが食われれるところ、今見ると進撃の巨人のミケの死亡シーンを思い出したり。直前までかっこよかった人が苦痛や恐怖から普段の人となりからは想像もつかないような断末魔をあげてこちらをちびらせてくるところがもうね…)
キッチン内でのラプトルとの攻防もそうだし、こいつらのおかげでデカくて速くて強いティラノサウルスが映画内では脅威の存在でもあるに関わらずなんか画面に映ると「ふぅ〜かっこいいわやっぱり」とホッとしてしまうくらい。
実質ゴジラである。
また、画面外でくたばったアーノルドのちぎれた腕とかティラノサウルスの攻撃で車の天窓が落ちてきて天窓越しに牙をガブガブされる場面とか恐竜達が本格大暴れ開始して以降の描写の怖さのレベルは見返してなおシリーズダントツ。
これは子供の頃に植え付けられたトラウマによるものかもしれないけど…
とにかくワクワクも怖さも本作が一番強いと個人的には思っている。

そして急速に進歩していく科学とそれを扱う人類への警鐘という現代においても通じる高いメッセージ性も持ち合わせている。
地上波放送では結構カットされてる印象だけど食卓を囲みながらマルコムがハモンドに倫理観を問う場面は特に象徴的だろう。
(多分カットされたのは「自然界へのレ⚪︎プ」発言のせい)
「あなた方は危険を弄んでいる。生命の力は恐ろしい。オモチャではないんだ。君らが用いている科学技術や知識は誰もが手軽に入手できる。誰かの本を読んで応用するだけ。自分達の責任を問うこともしない。天才が考えたことをちゃっかり頂いて事の重大さも考えず手早くパッケージして売り出すことしか考えていない。」
人類の叡智と好奇心が生み出した恐竜とそれによってもたらされる混沌。
ちゃんと人間の光と影がくっきりと浮かび上がるような内容になっていて本当に素晴らしい傑作映画だと思う。
シリーズ全体に通じるテーマではあるけど特に本作のそれは強く印象に残るなと個人的に。
見返してなお思う。
最高傑作である、と。
グラントやマルコム、さらには本作に登場するティラノサウルスなど後続作品にも登場するキャラクターや恐竜がいる原点オブザ原点ではあるがそれ以上にこれ一本だけでも見る意義の深い作品じゃないかなーと。
ちなみに幼少期の頃好きだったのはマルコム博士で何度見返してもマルコム博士が好きです。
吹き替え版の大塚芳忠ボイスがこれまた良くてね…
あとワールド三作品では目立ちまくり大活躍なシリーズの元凶ヘンリー・ウーも登場しているんだけどさらっと流されるので出ていることすら知らない人って意外と多かったりするのかな?
新たなる支配者まで見るとこいつがシリーズのテーマを背負った裏主人公みたいに見えるから困る。
ロスト・ワールド / ジュラシック・パーク(1997)
そして二作目。
ロスト・ワールド。
前作命からがら生還したマルコムがイスラ・ソルナ島の調査のためにいつの間にか意気揚々と乗り込んじゃった恋人サラ(←こいつがすごい)を連れもどすために再び恐竜のいる島へと足を踏み入れたらまさかの娘までついてきちゃってさあ大変!
あれよあれよという間に事態は悪化、サラを筆頭に危機意識の低すぎる連中に振り回されマルコムがへろっへろにされる一本。
頭のネジ緩みすぎだろというくらい想像力が欠如した行動をとるサラだったりしょっぱい装備と危機意識と練度の低さがミックスしてバカみたいな退場を繰り返していく戦闘要員のハンター達など人によっては見ていてイライラするタイプの映画になっていることだろう。
なので世間からの評価も碌なものじゃない。
けど個人的には結構好きなんだよねこの映画。
1には及ばないにしても。
生命倫理を問いつつ見るものを恐怖させ、時にはワクワクさせた極上エンターテインメントだった1と比較するとまあ結構パニック映画方面によっている感は否めない。
しかしそこにこそ楽しさがある映画である。
登場人物の量がモブを含めて全然前作より多くそのほとんどが前述の通り馬鹿。
もう本当に馬鹿。
島には凶暴な恐竜の数々。
どうなるか?
当然死屍累々である。
前作の犠牲者数が霞むレベルで次々と食べられていく。
滝の中に逃げ込む、蛇が首元に入ってびっくりして飛び出したらステイしていたティラノサウルスにパックリ頂かれるところなんか芸術的すぎてもう恐竜ピタゴラスイッチだ。
バリュエーション豊かに馬鹿を見せて馬鹿みたいに人が死んでいくので爽快感がすごい。
個人的に一番「こんな死に方嫌や!!」となるのはトイレに行ったら小型の恐竜の群れに啄まれながらじわじわとなぶり殺され川が血で真っ赤に染まっていく場面。
見張りを頼んだ相手が音楽聞いてて悲鳴が聞こえていなかったというところもアホレベルを引き上げて嫌すぎる。
よくこんなハードな状況で音楽聴いてられるよこいつ!
全体的に死に方の残酷度は1以上かもしれない。
悪趣味と言い換えても良い。
映画としての怖さで言ったら断然1だけど。
とにかく見返してもなお島の中にいる間の死にまくりターンは気分最高だった。
思えばこの映画のせいで子供の頃モンスターパニックばっかり摂取するようになってしまった気がする。
割と悪影響をもらったかもしれん。
ありがとう。
とはいえ当時も今もマルコム達を助けようと頑張ったエディがティラノサウルスに真っ二つにされてシェアされるところはショックを受けてしまう。
どう考えても放っておいた方がいい怪我した子供の恐竜を治療した結果その親に狙われてトレーラーを崖から突き落とされそうになって更にそれを助けようと奮戦しまくった結果助けようとしたエディが残酷な死に方をする。
そしてエディ死んだ直後に颯爽と現れるハンター達と良かったー助かったーみたいなツラしてるサラ達に対して「なんだぁテメェ?」という気持ちが込み上げてくる。
このパターン自体は昔と変わらないが湧き上がる怒りの量は今の方が強かったかもしれない。
噛みつかれる直前までアクセル踏んでたんだぜエディ。
普通ならダッシュでその場から離れてもいいのに。
シリーズ屈指の聖人でシリーズで最も悲しい死だよ。
それに比べサラ…
マルコムに無断で島に乗り込む…まではまあいい。
よせば良いのにステゴサウルスを触ったりカメラのシャッターを切ったりして恐竜の怒りを買って死にかけたり、ティラノサウルスの子供を助け(厳密には拾ってきたのはサラじゃないけど)トレーラーの転落とエディが死ぬ原因を作ったり、助けた恐竜の子供の血がついた服を着たまま行動してそれきっかけでティラノサウルスに付き纏われ部隊崩壊のきっかけを作ったりとシリーズ最強の迷惑っぷりは凄まじいものがある。
それも周りが死にまくってるのに運が良いのか何なのか生き残ってしまう不死身性。
誰かに死を押し付ける厄災みたいな存在なんじゃないかとすら思う。
D4Cラブトレインか?こいつ。

そして今見るとローランドの強さに笑ってしまう。
ティラノサウルスとっ捕まえてやるぜと息巻くハンターなんて泣きながら食われるのが定番だろうに一騎打ちして普通に倒しちゃう衝撃展開はこいつだけ出ている映画を間違えているレベルの戦闘力。
直前銃から弾を抜かれる嫌がらせを受けてもなお止まらぬ強さ。
普通にシリーズ最強クラスで面白すぎた。
また、パークの中で物語が完結しないのも本作の特徴だろう。
(気持ちはジョウト地方の冒険が終わったと思ったらカントー地方がまだある!となったガキの頃のそれ)
特に何の説明もないまま船員が全滅した船が港に突っ込んできてその船から輸送中のティラノサウルスがこんにちはして街中でモンスターパニックが開幕するという二段構え。
人によってはこれも嫌かもしれないけど個人的には新しい刺激があって好き。
船員が全滅するくだりが何もないせいで「だから一体どこの誰にこいつらバラバラにされてんだよ」とエンドロールが流れる瞬間まで頭の片隅にもやっと残り続けちゃうけど。
だから何なんあれ。凄腕残虐忍者でも乗ってたんか。
まあとにかく1には遠く及ばないとしても二作目もそんな捨てたもんじゃないなと思うわけで。
ツッコミどころも食われるシーンもてんこ盛りでモンスターパニック映画好きには刺さる作品だと思う。
子供の頃は楽しかったけど見返すとちょっと…とならずに今も今で結構楽しく見れたので、やっぱり好きですよロスト・ワールド。
ジュラシック・パークⅢ(2001)
そして三作目。
2がマルコムが馬鹿共に振り回されてグロッキーになる話ならこちらはグラントが馬鹿共に振り回されてヘロヘロになるお話。
2度と行きたくねえ島に行ってアホのおかげで酷い目に遭うという流れは2と大体同じなのでポケモン赤緑みたいに登場キャラが違う選択式ゲーム感がある。
大きな違いは島の外でのハプニングがあるかどうか、死人の数。
そう考えるとド派手に人が死にまくって被害規模も結構なモノだったロスト・ワールドと比較すると3はスケール感を絞ってこじんまりとしている印象だ。
ロストワールドのパニック感が苦手だった人はこちらの方が好みなのかもしれない。
スケール感だけでなく映画の尺も前二作と比較するとかなり短く、そのおかげでぎゅっと内容が詰まっていて余計なシーンは少なくあらゆる部分を必要最低限かつそれでいて迅速に物語が進行していく。
物語自体もグラントを主人公にしてはいるもののメインはグラントに仕事を依頼した家族側の物語の色が強い。
ぎゅっと絞った尺の中に縦軸としてバラバラだった家族の絆が再生していくストーリーを据え、その脇でグラントが酷い目にあっている。
島に着いた途端やめろと注意しているのに大声で島全体に向けてアピールしまくるママ、勝手に上陸して安全拠点を確保しようとして壊滅する部隊、偽小切手で詐欺ってくるパパ、ラプトルの卵をこっそり盗む奴と周りの奴らが頭おかしすぎてよくグラント発狂しなかったなと褒め称えたくなるレベル。
(2に比べて彼らのマシなところは知識皆無一般人なところだろうか。それも動機が子供を助けるためなのでその必死感からくるアホ行動の数々にも情状酌量の余地がある。それに比べサラときたら…)
だからこそだろうか。
それらと対極に位置するくらいの強さを見せる少年、エリックがもう凄い奴に見えて仕方ない。
たった一人で恐竜のいる島で2ヶ月間サバイバル生活をして生存して見せたというタフガイ。
無人島に投げ込まれたエルリック兄弟でも周りに恐竜はいなかったし孤独でもなかったぞ。
気が狂いますよ普通。
シリーズのどこかで強キャラとして再登場してほしいくらいである。
そして本作の特色としては誰でも知っているくらいメジャーな恐竜なのにこれまで全然出番がなかったプテラノドンの登場、そしてメイン恐竜をティラノサウルスからスピノサウルスに変更しているということだろう。
映画のキービジュアルがティラノサウルスではなくスピノサウルスのシルエットが採用されたり劇中でティラノサウルスがスピノサウルスに敗北するシーンがあったりととにかくスピノ推しが激しい。
これが物議を醸して「ティラノサウルスががスピノサウルスに負けるわけねえだろうが!!」と熱量の高いブーイングが湧き上がっていた記憶があるが時が経った今となっては本当に「勝てるわけない」判定らしくいよいよ劇中での激強スピノ描写が怪しいものとなっているわけであるがそこも含めて本作の面白味とも言えるかもしれない。
最新研究で水棲なことが判明しいよいよティラノサウルスに勝てるわけなかったじゃんという印象が強まった現在、スピノサウルスがティラノサウルスをしばき倒しティラノサウルスくらいの脅威として扱われている超スピノ優遇作品としては貴重な映像になっているんじゃないだろうか。
普通見れないものが見れた感あってそこは珍しいもんが見せてくれたなと。

実は個人的には初めて3を見た時あまり面白いとは思えなかった。
スピノサウルスがどうこうとかじゃなく純粋にこじんまりとしたスケール感に「前作あんなたくさん人食われて街にも行ってお祭りだったのになあ」と物足りなさを感じていたからである。
1でテーマパーク感を、2で荒廃した人の夢の跡を、それぞれ違うものを舞台として見せてくれたが今作は2とそんな変わらず、しかもスケール感は前作を下回っているため子供的にはがっかりしたのだろう。
あとマルコムがいないのも多分効いていた。
何故かガキの琴線に触れた男マルコム。
大塚芳忠ボイスが良すぎるのがよくない。
ラストも「え?ここで終わり?」と拍子抜けさせられて不完全燃焼感は否めず、世間的には否定意見の多かったスピノサウルス周りは新しい味がして楽しかったけどそこ以外で食い足りなさを感じ続けていたというのが正直なところ。
しかし今見返したら案外記憶の中のそれより面白くてびっくりした。
初見の感情が間違っているとは思わないけど作品としては綺麗にまとまっているしシリーズ三作目を作るに当たっての産みの苦しみとその中でもがいた末に出力されたあれこれが見えたような気がして楽しかった。
(ワールドを経てから見返すとラプトル周りの描写の味が濃く感じられるのも良い)
人間を動けない状態にまで痛めつけまだ生きている人間を助けに他の誰かが駆けつけるように罠を張るラプトルや食った人間の持っていた衛星電話の音を流しながら近づいてくるスピノサウルスなどちゃんと恐竜の怖い姿もきっちり描かれていて良い。
ただ今見るとやはり「どんだけ衛星電話の音量でけえんだよ」とツッコミたくなってしまったので怖さ半減。
つまらない大人になってしまったなと悲しかった。
あと当時は何やってんねんこいつとしか思わなかったけど今見るとビリーいいキャラしてんなと。
研究のために危険も辞さないイカれ行動をとる男だが、見返すとラプトルが人間を使って罠を張っていることに気づいた時目の前で人が苦しみながら殺されてるのに「いや貴重なもん見ちゃったなあ」みたいな嬉しそうな表情をちょっと浮かべてる気がして怖かったし、卵盗むような迷惑行為を行ったらゴミのように死ぬのが定石なのになんかちゃっかり名誉挽回の機会が与えられているところも良い。
好奇心や探究心に負けて過ちを冒すこともあるけれど誰かのためにそれらを捨てて走り出す勇敢な決断をできる美しさも持ち合わせているという人間の明暗両方をビリーが体現しているように感じて、人間の夢と罪を描いてきたシリーズだからこそ映えたと思う。
とまあ見返して最も大きな変化があったのはこのビリーの描写に対する感情。
初めて見た時はプテラノドンにどう残酷に殺されるのかしか興味がなかったので「なんだよ食うところ見せねえのかよガッカリだよ」としか思わなかった当時の自分がちょっとおかしかっただけの可能性は否めない。
ただやっぱり終盤の「あ、終わりか」という若干の食い足らなさは少なからず感じてしまったのでやはり前二作と比べるとどうしても一段下くらいの評価かもなーとは思うものの、尺が短いことによるハイテンポな物語と怒涛の恐竜描写の連続は見応えがあるし家族にフォーカスを当てたストーリーも見やすく、初めて見た時よりは「なんだよ良いじゃん」と結構楽しめたなというところ。
こじんまりとしていった内容にシリーズとしての収縮、終わりを感じてそういう意味でのがっかりもあったのかもだけど今は後続にジュラシック・ワールドシリーズがあるので何の気兼ねもなく見れたところも大きいのかもなあと思ったり。
最後に
とまあ見返してみると「子供の頃見た時は楽しかったけど大人になってから見返すとイマイチだな…」とか「今見ると思ったより怖くなかったな」とかありがちなちょっと悲しい気持ちになる感想が全く湧き上がることがなかったのでこれが本当に素晴らしいと思う。
あの頃の怖さもワクワクも作品の中に変わらず詰まっていた。
まあ「あれ結構このへん雑だったんだな」って気づきもあったけどまあそれもご愛嬌。
それも込みで楽しかった。
何より当時あんまりノれなかった3の良さが見えたことが大きかった。
あっさり終わったなーみたいなちょっとした肩透かし感は当時抱いた感想の名残か、それでもつまらんなーみたいなマイナスな印象はなかった。
シリーズの変遷を追ってきたからこそその道中を穏やかな気持ちで眺められるというだけなのかもだけど。
物議を醸したスピノサウルスも後の作品でティラノサウルスに骨格標本ぶち抜かれて主人公交代!!ティラノ登場!!の激アツ演出に使われるわけで、あのブイブイ言わせてたスピノもタイトルバックをフリーダムガンダムに奪われたシン・アスカみたいになるんだよなと思うと一時の栄光に味が滲み出てくるというもの。
こういうのは長寿シリーズならではの醍醐味というところかな。
何はともあれ久々に見返してもジュラシック・パークは面白いというお話。
次はジュラシック・ワールドについて…書く…と思う多分。
では。
